【07.03.10】金優さん[内科医]――不幸な歴史、恩讐を乗り越えて、日本とコリアンの友好・共生を

在日コリアン医師の生きざまと9条

 
春日井市東野町で内科医院医師として活躍されている金 優さん。
春日井九条の会などで、在日コリアンとしての思いを語っておられます。ある日の午後、医院へおじゃまをしてお話を聞きました。 

金 優さん (略歴)
   1936年5月 名古屋市西区に生まれる。1963年名大医学部  卒業。現在、春日井市にて開業、東野内科クリニック 院長。70歳

明治維新の偉業とは朝鮮を侵略することなのか?

私の父は1900年生で、19歳の時朝鮮から日本に渡って来て、そして私が生まれ、100年有余の歳月が流れました。父が生を享けた19世紀末葉から20世紀初頭、「大日本帝国」は着々と朝鮮侵略を画策・強行、1910年には朝鮮半島を日本国に併合、植民地化します。朝鮮人民を愚弄し、痛めつけ、殺傷を思うままにし、国土を蹂躙しました。

 日本の朝鮮侵略の思想的根源は明治維新の師と崇められた吉田松陰が「侵亜論」を説き、次いで福沢諭吉が「アジア諸国を植民地にして欧米の帝国主義列強に伍する」(脱
亜入欧)として朝鮮侵略を唱え、その後、板垣退助、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らは「征韓論」を思想的支えとして朝鮮侵略を推し進めました。日本の皆さんにとって「明治維新の元勲」と称される日本の偉人たちは、私たち朝鮮人にとっては「不倶戴天の敵」なんです。

 日韓併合後、1919年3月1日、余りに苛酷な植民地統治に反対して、朝鮮人民は「朝鮮独立万歳」を叫び、朝鮮全土で反日運動が繰り広げられました(「3・1万歳事件」)。多くの朝鮮人が囚われ、虐殺されました(日本総督府の発表で、約七千人、実際は10万人近い朝鮮人が殺されたと言われています)。

 私は、終戦直後(8歳頃)、その時の処刑現場の写真を見ましたが、日本軍隊によって、首吊り、斬首、はりつけ射殺など、その惨たらしい情景は今でも忘れられません。日本人の朝鮮侵略の歴史、植民地支配における残虐行為について日本の皆さんはご存じなんでしょうか?

極貧の生活に耐え

私の父は、寡婦であった母(私の祖母)を故郷に残して、ひとり裸一貫で日本に渡って来て、同郷の女性と結婚して3人の男児をもうけましたが、私は末っ子で三男です。母は享年37歳、私が1歳八ヶ月の時に他界しました。

母の死後、父は、再婚もせず三人の男の子を抱え、朝鮮人という謂われなき差別の中で、土方、屋台の夜鳴き蕎麦、靴磨きなど随分苦労して、必死に私たちを育ててくれました。

生活はその日暮らしもままならず、母のいない家族の生活は衣食住すべてにおいて、極貧の生活でした。朝食は味噌汁もなく、一個の生卵を兄弟3人で分けてご飯を食べるということが日常でした。また、幼い頃から20歳までに20回も住むところを変わり、放浪生活に近い、とてもつらい幼・少年時代を過ごしました。

自らの出自を明らかに

植民地時代に日本に渡ってきた朝鮮人一世のほとんどは、苛酷な植民地支配の祖国で、略奪をほしいままにされ、糊口を凌ぐことも出来ず、強制連行や甘言に乗せられ、離れがたき故郷を後にしたのです。その多くは、炭鉱、トンネル工事、鉄道敷設など過酷な肉体労働を強いられ、また、居住は、河川敷や空き地など雨露を凌ぎながら、10世帯、20世帯と集まり、「朝鮮部落」をつくりかばい合って生きてきました。

 私も一時期、稲沢の朝鮮部落で暮らしていましたが、一世の多くは生活が苦しく、辛い日々ですから、「どぶろく(濁り酒)」を喰らい、争いごとが絶えません。子ども心に「なぜ、朝鮮人は無知蒙昧で、野蛮な民族であるのか?」と自分が同じ朝鮮人であることに卑屈な劣等感を抱くようになりました。

 「大日本帝国」は日韓併合後、朝鮮人に対して「皇民化政策」「民族抹消政策」を推し進め、1937年には「創始改名」が強要されました。

 生まれてから28歳で結婚するまで「金井 優(かない まさる)」という日本人名を名乗ってきました。日本の高校、大学でも自分の本名を明かすことが出来ませんでした。朝鮮人であることを知られたくない想いが心の底に沈澱していたのでしょう。大学を卒業して間もなく、日本人女性と結婚することを決意し、それを契機にこれからの「在日朝鮮人としての生き方」とか、「医師としての生き方」などを真摯に考え、在日朝鮮人として自らの「アイデンティティー」を確立する意味でも「金 優(キン ユウ)」という本来の名前を名乗ることにしました。

在日コリアンの未来と共生社会の確立

日本を「戦争ができる国」にして、再び近隣アジア諸国に日本の軍隊を派兵することができるようにする動きが強まっています。私たち在日コリアンばかりでなく、アジア諸国の人々も無関心ではいられません。かつて軍国主義『大日本帝国』は「大東亜共栄圏」という口実の下、その盟主として君臨し、近隣アジア諸国の人々をひどい目にあわせてきました。

 だから、日本が太平洋戦争で無条件降伏をした時点で、その総決算とし新しく、「主権在民」を謳った日本国憲法を定め、特に第9条で「戦争を放棄する」「軍隊をもたない」と宣言したことは誇るべき事だと思います。

 平和を守り続けるという立場で、日本が平和憲法を守り、頑張ってくれたら、アジアの諸国民も安心して平和で、仲良くくらせるのではないでしょうか。

 しかし、今、日本は明らかに歴史の後戻りをしているように見えます。戦後の平和憲法下での社会のあり方、制度を否定して、戦前の国のあり方、(安倍首相のいう「美しい国」)に戻るべきだという主張が盛んです。小泉元首相、安倍首相の靖国参拝は日本人の多くが賛成しているようだし、これからのことを考えるととても心配です。在日コリアンにとって、過去の体験からしても「日本人はとても怖い存在」であったし、今も怖いです。

 日本の方々が現在の平和憲法を堅持し、守り続けれれば、過ぎしの不幸な歴史、恩讐を乗り越え、日本・コリアンの友好・共生が生まれるのではないでしょうか。わたしは、そんなふうに日本の方々とも一緒に仲良く暮らしていければいいなとつくづく思うこのごろです。

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