【10.10.19】 インタビュー 裵 明玉さん 朝鮮強占100年の年に 差別の痛みをさらけ出すこと

朝鮮強占100年の年に 差別の痛みをさらけ出すこと

裵 明玉さんは、朝鮮大学校を卒業し2008年に弁護士登録、今年8月の「平和のための戦争展」で「朝鮮民族にもたらし続けている痛みを共有し、差別の根本を絶つために過去の克服を」と講演され、多くの方が感銘されました。お話しをうかがいました。

 
裵 明玉さん(ぺ ミョウンオク)

1980年生まれ 朝鮮大学校政治経済学部法律学科卒、2008年弁護士登録、名古屋北法律事務所所属 「朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知」共同代表

経済的収奪と文化の剥奪

 1910年の日韓併合条約は、国際法からみても違法です。
 植民地が朝鮮民族にもたらしたものは、経済的収奪と文化の剥奪です。学校教育の中でも朝鮮語は外国語として扱われ、日中戦争が始まってからは全面的に禁止されました。1945年8月15日の解放記念日、子どもだった人たちは朝鮮語を喋れません。言葉を覚えないと国には帰れないと国語を勉強する講習所が全国に出来ました。今の朝鮮学校の前身です。それだけ言葉を覚えさせたいという要求は強いものがありました。

 皇民化政策の一環として天皇を頂点とする日本の家制度に朝鮮人を組み入れるために、「創氏改名」が強要されました。

 土地調査事業で土地を奪われた農民は、やむなく国を捨て日本や中国に渡りました。植民地政策が、異国への流浪の民を生みました。

今なお続く差別に苦しむ若い世代

父方の祖母は、2歳で日本にわたり、教師のいじめにあい学校には行けなくなりました。貧しくて夜も働きづめの生活でした。字が書けないことを恥じ、朝鮮人であることにコンプレックスをもっていました。

 私は、小中高大と朝鮮学校に通いました。北朝鮮核疑惑がおこったとき中学二年生でしたが、若い女性にチマチョゴリのリボンを引っ張られて駅の階段から落ちそうになりました。火焔瓶をなげられた生徒もいました。北朝鮮の問題でメディアが騒ぐ度に教師が送り迎えして、集団登下校をしました。
 その後、チマチョゴリは危ないと、日本の制服をまねた第二制服になりました。ロースクール、司法試験への合格時に、インターネットの匿名掲示板に私の実名と「こんな在日が受かって、日本人の枠を取ってやがる。こいつら北朝鮮のスパイだ。何時までも被害者づらするな」などと書き込まれ、本当に怖いと思いました。

 明るいリーダー格の先輩はある時ぽつりと漏らしました。「在日朝鮮人と言うことに罪を感じてしまう」 
 高校生になり、外国人登録の時、初めて自分が朝鮮人だと知って混乱し友人にも話せないと悩んでいる子もいます。朝鮮人の服を着、朝鮮名を名乗っていることで、カッターで切られたり火炎瓶を投げられたりする社会です。私たちの世代でもまだまだ辛いことがあると実感しています。

「いつまでも過去のことにこだわるの?」に対して

 「何時までも過去のことにこだわるの。そのせいで仲良く出来ないじゃないの。日本人が嫌いなの?」と言われてしまう。

 国交正常化の夢をもち、日本と朝鮮の「架け橋」になりたいと私たちは思っているのですが、日本の若い人は、過去の歴史に無関心か、どうしようもない問題だと無力感を感じているように見えます。

 過去の歴史の清算は、私たちにとっては、子どもの時から背負ってきた大切なことです。
 たしかに三世、四世の私たちは、日本でさまざまな権利があり、いろいろな可能性があります。しかし、差別を生きてきた一世の人たちの被害を見ないで生きる事は絶対にできません。
 私たち新しい世代は、日本の方とすごく結びついている。心から理解し合い、強い絆を育みたいと望んでいます。だからこそ今でも私達に痛みをもたらしている植民地の問題を切り離すことが出来ません。

 差別される現状があるかぎり悲劇が後をたたず、朝鮮人であることが罪だ恥であるという人はなくならず、これでは植民地の時代と変わらないと思います。真に対等な友人になることはできません。

交流し、人間としての共感を

 難しい問題だと思うのですが根本的には教育が変わらない限り、差別はなくならないと思います。教科書の中できちんと史実を教えることが必要です。

 民間レベルの交流が進むにつれ、お互いに理解したい気持ちが出てきて一つの突破口になり、「本当に日本が悪かったの?」と言っていた人が史実の前に変わっていく姿をいくつも見てきました。共感、交流が全ての一歩だと思っています。歴史認識について最初からひとっ飛びに一致するわけはありませんし、在日三世は当時を体験していないので、勉強していかないといけない。お互いに学びあっていくことではないでしょうか。

 中学生の時に沖縄の少女暴行事件がおこり、もし自分だったらと震えました。ちょうど従軍慰安婦問題がクローズアップされていた時期でした。過去の従軍慰安婦にされた少女は私だったかもしれない。沖縄の少女は私だったかも知れない。

 将来被害者の方のサポートに係わる仕事、たとえばカウンセラーになりたいと親に話したら「おまえは理屈っぽいからカウンセリングには向かない」と言われ(笑)、人権を守る仕事をと弁護士になりました。

 拉致事件以降、「あんなことをやった国に組みするのか。」「朝鮮学校に何でお金をやるのか」などと核や拉致問題と在日朝鮮人の人権問題を結びつける新たな差別が頻発しています。「愛国心」を盾に取られて差別に対する声を上げにくい、排外的な空気が醸成されている。高校無償化の不適用問題でも過去のチマチョゴリ事件などと比べると世論の反対の声が小さい。とても残念です。
 イラク戦争開戦の時、世論が極端に右傾化する中でも知識人としての責務を果たし続けたノーム・チョムスキーの姿勢に感銘を受けました。今後も初心を忘れず、自分に対して厳しさを失ってはいけないと思っています。 

*朝鮮強占 対等な関係による条約でなく軍事強制による日本の朝鮮に対する強制占領であり、朝鮮半島では、「日韓併合」とは言わず、「朝鮮強占」と言います。

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