【11.06.14】文明とは 安楽と品位の進歩 福島原発災害から-福吉勝男さん(名古屋市立大学名誉教授)

 
5月24日、名古屋市立大学の福吉勝男先生を訪ねました。福吉先生は、哲学者ヘーゲルから「家族」、「市民社会」、「国家」などを考えてこられています。東日本大震災、原発事故が問いかけるものを哲学・倫理学から展開していただきました。

現代日本における文明を考えるきっかけに-ドイツと比較しつつ

 3月11日の2時46分、東日本大震災をきっかけに「現代における文明とは何か」を考えざるを得ませんでした。
この時刻、私は福沢諭吉とヘーゲルの比較研究をやっていましたが、現代における文明とは何かを考えるいい機会になりました。
 福沢諭吉は、文明とは何かについて『文明論之概略』で述べています。そこに触れる前に、ここ100年余りの歴史でよく似たヘーゲルの故国・ドイツと、福沢と私たちの日本の比較をしておきましよう。
近代統一国家の成立は、ドイツは1871年、日本も不徹底ではあったのですが1868年の明治維新です。両国はイギリスやフランスと比べてとても遅い。戦後の50年代から60年代にかけての高度経済成長と急速な近代化という過程も、よく似ています。
 ただ、基本的な点での違いもあります。まず、同じ先進資本主義国でもドイツの方が、広い意味での教育と福祉の点で日本より上等な気がします。日本は、憲法25条がありますが、実現するという方向にはなかなか向いてこなかった。ドイツは社会的市場経済を重視する。秩序のある資本主義をつくっていきますよと。利益の社会的な再分配、企業は当然ながら利益をあげようとするが、同時に得た利益は社会に還元していく傾向が比較的強い。
二つ目の違いは、ドイツは地方自治がしっかりしています。16州から成るドイツ連邦共和国です。連邦制ですから文部省などは、中央政府にはありません。教育、福祉のベースは16州それぞれでやっていくということです。日本には、地方自治の基本原則を規定した憲法92条以下がありますが、本格的な地方自治になっていません。
 もっとも、日本の方にも優れた点があり、それはなんといっても憲法第9条をもっている点です。ドイツには連邦軍がありますから。

文明とは、「人と安楽と品位の進歩」

福沢諭吉は「文明とは、人の安楽と品位との進歩をいうなり。・・・文明とは結局、人の智徳の進歩というて可なり」(『概略』)と定義しています。科学を振興させて、それを技術に応用し、人々の生活の便利を追求していくのが安楽です。
安楽はどんどん追求していくが、それに文化は必ずしも連動しない。これは大変重要な指摘です。福沢は、安楽が進歩して品位が下がっては意味がないといっているのです。安楽も進歩し、品位も前進して初めて文明の進歩です。
私もやはり、自分が不分明であったと思います。40年ほども前から私の友人に反原発を言っていた人がいたのですが、どうも私自身が気づかなかった。電気代は安いし、クーラーをはじめ電気器具は簡単に使えるし・・・・・と。
 しかし、プルトニウムの半減期は2万4000年余、セシウムで30年です。どれだけ科学が発達してもおそらく人間によるコントロールはできないのではないか。
きっぱりと原発をやめて、自然エネルギーへの転換をすべきです。   
ドイツでは、福島原発の事故を踏まえて、メルケル首相は脱原発へと方針を転換しました。おそらく廃棄のプログラムを立てて全廃を進めていくでしょう。日本はやっと浜岡を止めるといいましたが、しかし菅首相は安全点検をして稼動させるという意向のようですね。
 原子力発電は基礎科学の研究から出発しています。その技術的な応用で、科学者が福沢諭吉のいう「品位」を充分に発揮できなかったのです。反原発の学者もいたと思いますが、国策でそれは切捨てられてきた。原子力工学に関わった自然科学者の社会的責任、品位が足らなかった。品位とはモラルであり、内的規制原理なのですから。それと同時に、自然科学者の問題だけではなく、私も含めた社会科学者や人文科学者の品位の問題でもある。そして政治の品位の問題。自分自身が不分明だったという反省も私のなかにあります。

原発は未曾有の反「公共の福祉」

 これからは、人文科学でも社会科学でもその研究の目的設定を明確にすることと、内容の具体的提案をすることが必要でしよう。例えば、憲法第25条、「健康で文化的な生活」について、その中味を究明し具体的な提案をすることが大事です。憲法を守るだけではなく、その内容を具体的に示し、それを実現する方策を考えていかないといけませんね。
 今、原発問題に関連して緊急に必要なのは、原発の全面停止、原発から自然エネルギーへの転換の基本的計画と、その実現のためのロードマップを私たちの方から提案していくことだと思います。
 それから公共の福祉の観点からの議論も必要です。原発は本当に公共の福祉に寄与したのか、今回の事故の行末を考えても未曾有の反「公共の福祉」ではないか。こんなことを考えさせられます。社会科学者、とりわけ自然科学者の社会的責任は重大です。
 1981年、ドイツで留学生活していました。ドイツでは当時でも、週休2日、あるいは週休3日に近かったですね。映画館や百貨店などは土、日曜日休みです。労働時間が短く、家族そろって過ごす時間が多い。基本的な家庭生活の枠組みが大事ですね。消費する主体が、消費されてしまってはいけないです。東日本大震災を通じて私たちに問われていることを大いに学び議論して、真の文明の進歩へ向かっていきたいですね。
 (革新懇運動への期待などを、お聞きすると)一つ一つ、そのつどそのつど必要なことを、粘り強くやっていくことの積み重ねではないでしょうか。

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