【11.12.23】住民運動に貢献し、運動の調整役に―守山革新懇事務局長 吉村謙さん

住民運動に貢献し、運動の調整役に

 
 守山革新懇は1995年7月に結成して16年が経ちました。この間、代表世話人会議、毎年の新春交流会、学習会など地道にとりくんできました。特にこの10年間は次々とできる住民・市民運動と一緒に奮闘してきました。

 2001年9月には、春日井市松河戸の産廃焼却場建設計画に対し、「産廃焼却炉建設をやめさせる守山の会」が作られました(昨年2010年秋、10年の闘いで建設中止を勝ち取る)。2002年1月には名古屋市立守山市民病院の縮小問題が明らかになり、「地域医療を考え、守山市民病院を守る会」が結成されました。また憲法改悪の危機の中で2006年7月「もりやま九条の会」が270人の参加で結成されました。守山区には自衛隊第10師団の司令部もあり平和運動、自衛隊監視運動も盛んです。こうした運動の盛り上がりの中で2007年4月、守山区で初めてくれまつ順子共産党市会議員が実現しました。
 ですから2ヶ月に1度の代表世話人会議では大島良満さん始め各団体・個人から“自由闊達な議論”が展開され大いに盛り上がります。そして当面の情勢や守山区の大事な取り組みを明らかします。「守山市民病院を守る会」や「もりやま九条の会」などはこうした議論の中からみんなの努力で結成することができました。守山革新懇は住民運動にいささか貢献しつつ、運動の調整役を果たしてきたと思います。

 今年の10月15日には久しぶりに31名の参加で守山革新懇の総会を開き、柘植新先生の原発なくせの講演会を行いました。この総会を契機に36名だった会員を50名に増やし、全国ニュースの読者も12名から24名になり、郵送だったニュースを区で配達することにしました。会計担当の努力で長い間会費も順調に集められ、健全会計です。16人に増えた新しい役員には30台女性の方や50台の農業関係者も参加して若返りました。悩みは元気な住民団体が多いなかで革新懇独自で何をやるか、そして本当に幅広い方々とどう共同を広げるかなどです。「新しい時代」を三つの共同で地域から支える地域革新懇をもっと多くの人が好きになってくれるといいなと思って活動しています。

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