【15.05.10】大島良満さん――戦争反対の「救国」の統一戦線を―戦跡めぐり今年で27回目

 
大島 良満 さん

1935年4月名古屋市生まれ。 三郷陶器で労組初代専従、愛労評で初代生活部長、めいきん生協初代生活相談室長。現在消費税なくす全国の会常任世話人。税金、生活保障、医療、公害などに携わってきた。

グラマン機銃掃射攻撃

 国民学校一年生になる直前の12月に太平洋戦争がはじまりました。北区の杉村に住んでいました。1945年になったら、激しさを増しました。B29の攻撃がはじまり、特に、3月になって連日のように空襲警報。3月10日の東京大空襲、14日の大阪大空襲、そして3月19日名古屋の大空襲があり、その日に我が家は燃えてしまいまいした。午前0時過ぎ、おふくろに手をひかれて制服制帽に、ランドセル、唯一の貴重品を背負って、防空壕にいきました。おふくろは、家の預金通帳などを肩に背負っただけ、防空壕の中、天窓のガラスが、夕焼けのように赤く見えました。町内会長をしていた父親が母親を呼び出し、「今日の空襲はただ事ではない。ここにいたら危ないから逃げろ」と母親は家に忘れ物をとりに行くような格好で私の手を引っ張って逃げました。名古屋城の兵

舎から小幡の練兵場にいくために作られた新道をたどり、大曽根のガードをくぐった三菱工場のまえに大きな防空壕がありました。そこで防空壕に入れてくれました。明るくなった頃に防空壕から出て家に戻りましたが全て焼き尽くされていました。その後、父親の実家のある一宮の浅野に疎開しました。
 敗戦まぎわの7月、近くの川に泳ぎに行く途中にグラマン戦闘機の機銃掃射をうけました。あと2.3メートル、弾にあたっていたら今この世にいませんでした。

「憲法のはなし」をまなび

 終戦は、疎開先の一宮でした。 私は、軍国少年で日本は絶対に負けない。大きくなったら陸軍に行くと考えていました。戦争に負けて、灯火管制がとけて明るくなったという感じがしました。修身が優でないと上の学校にいけないと教育勅語をよく暗記し、70年たった今でも頭に残っています。
 戦後、「あたらしい憲法のはなし」が配られて学びました。その教育を受け、9条を読めば自衛隊は憲法違反、集団的自衛権なんてとんでもないです。専守防衛論でさえ、憲法から見らば問題があると思っています。

戦跡めぐり今年で27回目

 毎年戦跡めぐりを8月15日に行なっていますが、今年で27回目になります。
3月24日の名古屋空襲はひどく、上飯田で沢山の人が亡くなりました。これがあまりに酷かったということで、地域の人がお地蔵さんを立てられました。私は中学生のころにそのお地蔵さんの前を通って中学校に通っていました。
 六十歳になった頃にお地蔵さんがあるかなあと思っていったらありませんでした。戦跡めぐりは、お地蔵さん探しがきっかけです。1989年に名古屋市北区の霊光院にあることが分かりました。めいきん生協の「平和の特集号」でお地蔵さん探しをテーマにして書きましたら、次々と戦争の傷跡が寄せられるようになりました。当時の国鉄職員が防空壕で全員が死んでしまったこと。中央線の建設時の犠牲者とおもっていて、まさか、空襲の被害者とは思いませんでした。みなさんはいろいろ教えてくれました。市役所の黒松6本の幹がえぐられている。名古屋市役所時計台の下部だけ防空迷彩の跡が残っている。東北側に対空速射砲を置く為の場所が残っているなど。現在、ピース愛知の資料館の前にある「平和地蔵」は、千早の高速道路の下にありました。千早で空襲があり多くの方が犠牲になりました。戦後、現場の近くの町内会長の山田さんが慰霊のために建てました。その後、区画整理で転々として八事の無縁仏に移されていました。戦時中、金属回収令で鉄製のものは全て、釣鐘も供出させられました。東区の石の釣鐘は、教育委員会よびかけで、区内の社会科の先生が調べてわかった結果です。
 対人口比で空襲による被害割合は原子爆弾がおとされた広島、長崎についで名古屋です。これはあまり知られていませんが、名古屋がなぜ第3位かというと理由があるのです。兵器産業が集中していたからです。

多くの人と共同して

 「ヒットラー/生まれ変わりて/安倍名乗る」という川柳があります。「積極的平和主義」は突き詰めて言えば先制攻撃をすればいいということです。戦前の日本のやったやり方です。A級戦犯を神様として拝む、ドイツでヒットラーを拝みますか。イタリアでムッソリーニを拝みますか。そんな人はごくごく一部の人です。日本はすり替えられています。私は恐ろしいことだと思います。
 沖縄の選挙では「辺野古新基地建設ノー」で保守・革新が共同して安倍政権とたたかっています。よく、相手の人の話を聞かないといけないですね。
 「救国」という言葉は革新の人が使う用語ではないかもしれません。しかし、戦争への道は「亡国」への道です。
  「戦争する国にはしない」という一点での、多くの心ある方、保守の方々とも共同が大きく広がる時だと思います。いま、そういう情勢ですよね。
 革新懇自身も高い決意と志しをもって保守の方々とも手をとりあってやっていくことが求められていると思います。

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