【15.08.10】益川敏英さん―戦争法案・国民の怒りを爆発させよう!

戦争は命のやり取り!反対に理由はいらない

 
益川 敏英 さん

 物理学者。1940年名古屋市中川区生まれ。名古屋大学特別教授、素粒子宇宙起源研究機構長、京都産業大学教授。2008年にノーベル物理学賞を受賞。「安保保障関連法案に反対する学者の会」発起人。

「戦争する国」許せない!

 安倍晋三首相がやっていることは無茶です。極端な言い方かもしれませんが、自分が判断したら戦争できるといっているのです。
 日本国憲法 第96条は、憲法の改正手続について規定しています。国を運営していく基本的な考え方は憲法です。安倍首相がいうように「安全保障環境の変化」で「情勢が変わった。変えるべきだ」というのであれば問題提起をしてどう変えたいのか示し、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が発議し、国民に提案してその承認を経なければならないのです。
 日本の憲法は交戦権ということについては自国から先に戦争を仕掛けることを禁止している。
 それで何がいけないのかと言いたい。
 今まで70年間、自国を戦争から守ってきた。それを急に、交戦権をほしいというのはとんでもない話だと思います。

戦争を正当化する理由はない

 戦争を正当化する理由はありません。僕は、戦争は嫌いです。
 僕は、初めから受け入れない。
 19世紀の軍事学者クラウゼビッツは『戦争論』の中で「戦争は外交の延長である」と言っています。領土欲などをきっかけに先にポカンとやる。それが戦争だと言っています。
 自国の国民を戦禍にさらしてまで守らなければいけない自国の利益はあるとは思えません。
 紛争があるのであれば必ずその前に外交があるのです。必ず外交で解決できると僕は思っています。

「反対する学者の会」発起人に

 「安全保障関連法案に反対する学者の会」の発起人になったのは、戦争は、基本的に命のやり取りですからね。それはもう取り返しがつかないことになるわけです。そういうことを多少なりとも論理的に予測できるような人間だったら、そういうことを主張する側に立たなきゃいかんのじゃないかなと僕は思うのです。
 私の恩師である坂田昌一先生は、「学者は二足の草鞋がはけないようでは男じゃない」とおっしゃっておられました。男じゃないというのはちょっとね、女性の研究者もおられるので(笑)。
 学問をやると同時に、社会的問題に対しても発言していくという姿勢を貫かれておられました。自分の弟子たちに「こうしなさい」ということはおっしゃらない。だけども、先生がそうしておられる。それを見よう見まねで我々は学んできました。

世界の流れを見てみると

 百年という単位で世界を見てみると1945年以降かなり変わってきています。植民地的な取り扱いを受けている国はあるけれども植民地はなくなりました。
 いろんなことはあるだろうけれども僕は二百年たてば戦争はなくなると思っています。
 安倍さんがやろうとしていることは明らかに時代の流れに逆行しています。
 70年かけて守ってきた「戦争しない国」を「戦争できる国」にしようとしている。
 それは、明らかに何かやりたいわけです。積極的に何かやりたいことがある。それを僕は国民の命までさらしてやらなければいけない政策だとは思いません。

空襲で焼夷弾が

 僕の戦争の原体験は5歳の時です。3月20日の名古屋大空襲です。名古屋市昭和区の鶴舞公園の近くの家に居ました。僕の脳裏には2枚の写真として焼き付いています。
 一枚は、我が家の屋根を突き抜けて一階の土間の目の前でコロコロと転がった八角形のジュラルミン焼夷弾です。たまたま不発でした。爆発していたら死んでいたか大怪我でした。死ななかったのは運がよかっただけ。周囲の隣近所は火災で燃えてしまいました。
 もう一枚は荷車の上に乗せられて、火事で燃え盛る中を両親と逃げ惑う写真です。幼かったこともありましたが今も脳裏に鮮明に焼き付いています。

戦争とはなんだろうと考えた学生時代

 学生時代、ベトナム戦争が日本でも新聞一面に盛んに報じられました。戦争とはなんだろうと考えるようになりました。
 自治会の中心で旗振りはやったことがないのですが、デモ、行動提起があったら必ず賛成し、参加していました。
 9時から団地に行って署名活動をして、午後4時ごろから統一行動に参加をするのですが、その間に良く勉強しましたね。地域に入り、署名活動で玄関の戸をたたく。奥さんが顔をだす。僕なんか行くと「かくかくしかじかで署名をしてください」というと「間に合っています」と言われるのです。でも、気が弱いから「はい」といってよそへ行くんです。しかし、上手な学生は、無駄話、世間話をして10分くらいして署名をしてもらえる(笑)。参っちゃいましたね。
 自分で本を読んだり、セミナーをやったりして、あのころは一番よく勉強をしました。
 デモの後、流れ解散になるのですが、興奮しているので別れづらいですから喫茶店などにはいって仲間と議論してましたね。
 反対運動もしっかりやって勉強もしっかりやる(笑)。

学ぶことは喜び 社会問題に目を向ける

 自分の関心あることを追求することはおもしろいことです。学ぶことは喜びですね。
 だけど、社会的ないろんな動きに対して、日常的に関心を持ち続けることはちょっと違うことだと思います。研究者であれば、外界の雑音と関係なく自分の研究を考えていることを続けたいわけです。
 だけど、現実の社会で大変なことが起こっている。「あなたはどうするのか」ということを考えさせることは別のことだと思います。
 それやるためには、騙してもいいからね(笑)。集会に引っ張って来なさいと。「今日、天気もいいから」とか「一緒に散歩しない?」などもいい。そうしてその集会に立ち会うと社会問題に現実を見るわけです。
 ボケボケしていたら自分たちの子や孫はどういう社会の中で生きなければいけないのかということがわかるでしょう。どう責任をもつのか、人としてどういう社会を子や孫の世代に手渡すのか責任を持たなければいけないと思い知ると思います。 
 ほっておいたらそれは自分の研究に没頭することが面白いことだと思う。僕もできたらそうしたい(笑)。だから、僕はよく言うのですが騙してもいいからデモに連れてこいと。そこでどういう議論が交わされているのかね。肌で感じることが大事ですね。
 いま、これほど意見を表明することが求められている時代はありません。 国民が本質を見抜きつつあります。もっともっと本質を見抜いて立ち上がる人々を広げていかなければなりません。
 反対の声を上げることで国民の怒りが爆発すると信じています。

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