【17.08.10】三輪隆裕さん(宮司)―声を上げないと良い政治は実現できない!

「国体」の復活に危機感

 
三輪 隆裕 さん

1948年生まれ。清洲山王宮日吉神社宮司 名古屋大学文学部卒業。至学館大学客員研究員
諏訪神氏に連なる神職三輪家56代目。IARF(国際自由宗教連盟)を通じて世界に異宗教間の相互理解と共存を呼びかけている。

【清州山王宮 日吉神社】 
織田信長•豊臣秀吉•徳川家康の尾張三英傑に縁があり、清須城下の総鎮守神として祀られている。西暦771年、尾張地方に疫病が流行したので、病災除去の氏神としたのが発祥。1246年の歴史をもつ。
  ≫≫ホームページはコチラ→http://www.hiyoshikami.jp/

戦前回帰に危惧

 「共謀罪」は、戦前回帰の異論封じです。
 安倍政権は、経済政策は比較的うまくいっており評価する人も多いのですが、一番の問題は日本の将来をどうしようというイデオロギーです。第二次安倍内閣になってから重んじられ、安倍政権のブレーンになっている人たちがいます。日本政策研究センター代表の伊藤哲夫氏、法学者の八木秀次氏、百地章氏、親学推進の高橋史朗氏など、そして日本会議事務局長の椛島有三氏、参議院議員の衛藤晟一氏、防衛大臣の稲田朋美氏を含め、すべてこれらの人々は、生長の家創始者の谷口雅春氏の傾倒者たちです。その思想は、大東亜戦争時代の大日本帝国への回帰を理想とするものです。「共謀罪」は、将来この回帰に反対する人々を黙らせるために利用されるでしょう。
 神社本庁も、設立以来、明治回帰、すなわち大日本帝国の再現を夢見てきました。私は、常々、神社本庁の関係者に対し、「あなたたちの考えが実現すると本気で思っていますか?そんな考えは、今の日本人に受け入れられるはずがない。」と言い続けてきました。
 しかし、第二次安倍内閣になってそれが現実味をおびてきました。
 安倍内閣の政策の中で、そのような方向性が多岐にわたって顔を出すようになってしまいました。
 私は、このまま放っておくとひどいことになると思い、ブログを書き始めました。

日本は世界の孤児に

かれらのイデオロギーはどこへ向かっているか。「国体」の復活です。それは、神話の時代から存在した日本という国家が前提としてあって、国民は、国家の目的に奉仕するものとしてのみ存在が許されるというものです。そして国家の目的は、伝統にそって指導者層が定めるというものです。
 ここには、国民の総意により憲法が定まり、国家の仕組みが決定され、常に国民の監視の中で、国家が運営され、国民の平和と繁栄のために国家が努力するという近代の立憲政治の考えは微塵もありません。
 これは、前近代の思想であり、自由と民主主義を否定するものです。
 安倍晋三氏は、自由民主党の総裁でありながら自由と民主主義を否定しようとしています。こんなことをやっていたら日本はまちがいなく、世界の孤児になってしまうでしょう。 安倍晋三氏とその仲間たちは、天皇を戴く君民共治の道義国家、これが一番日本人にとり理想の政治であるという考えをもっています。これは、二千五百年前の中国の儒家の思想です。まさしく前近代そのものです。
 私は、二十代のころからこういった考え方に危機感を持ち、神社界でこのことを言い続けてきました。しかし、なかなか理解されませんでした。

自衛隊について

 憲法9条3項に自衛隊を加えるというのは伊藤哲夫氏のアイデアのようです。確かに、災害救助で活躍する自衛隊が憲法違反ではかわいそうだから、これを憲法上で認めるということは、受け入れられ易いでしょう。しかし、自衛隊は対外的には戦力です。交戦上の様々な法整備もなしに自衛隊を認めるというのは、法的な整合性はありません。

基本的人権の否定

 自民党の憲法改正案の中で、私の一番の憂慮するのは、家族条項です。そして「個人」の表記を全て「人」と変更することです。「個人」とその基本的人権は、民主主義と市場経済の基本概念です。これを潰すのは、民主主義と市場社会を否定して、全体主義と統制経済の国家を作ろうとする意図のためです。

神社本庁とは

 明治以降、神社界のなかには2つの流れが常にありました。
 一つは、民衆の生活文化として神道を研究した、民俗学の柳田國男とその後継者たちの流れです。彼らは、神道は、村の夏祭りや人生儀礼、慣習や伝説の中にあると考えます。
 もう一つは、明治以降に官僚として神社界に入り込んできた人々がつくりあげた国家神道です。それが戦後の神社本庁に受け継がれました。神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と信じ、天皇を頂点とした家族主義的国家、君民共治の道義国家の実現をめざしています。まさに時代錯誤です。戦前の日本では、学校教育の指針とされた「教育勅語」で国民のあるべき姿を定め、その基本となった皇国史観について国家施設である神社への国民参拝を通じて定着をはかりました。

明治政府の本質

 本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛るという発想はありません。例えば、祇園祭は、長い時間をかけて熟成された神仏習合の中の文化です。明治政府は、神仏習合はけしからんと言って、祇園社を八坂神社と名前を変え、御祭神の牛頭天王を素戔嗚尊に変えさせました。
 幕末に日本最大の宗教勢力であった修験宗を廃止し、神社を非宗教としました。明治政府は、まさしく古代からの日本の宗教と伝統文化を破壊したのです。代わりに、富国強兵のための中央集権国家と統一された価値観を作り上げました。

統一教会との関係

 統一教会は昔から自民党保守層と深い関係があります。また、現在は、谷口雅春の盲信者たちと共に神社本庁や日本会議に入り込んでいます。日本会議の実行部隊の中核は、統一教会です。

全体主義の流れに警戒

 改正憲法を実現する「1000万人署名」(美しい日本の憲法をつくる国民の会)、の中身は、日本会議が名称を変えたものです。700万ぐらい集まったようです。
 神社本庁の包括下にある神社で、政治活動に積極的にかかわっている神職は、わずかです。ただ、神社本庁が改正憲法署名用紙を置かせてほしいというから署名用紙を置く、選挙で誰かを応援してほしいというから応援する。皆、指示のとおりにしているだけです。
 このように、皆が上から与えられる指示に従うというのは全体主義です。国民すべてがそのように穏やかになれば、指導層の思う壺です。国家は私物化されます。

声をあげ行動を!

 森友、加計問題でようやく国民が安倍内閣の「危なさ」に気がつきはじめました。しかし、この二つの問題は、本質的なものではありません。安倍内閣の最大の危険性は、民主主義と市場社会を潰そうとする、その政治イデオロギーです。国民主権と基本的人権は、米国から与えられたものとはいえ、決して手放してはなりません。
 いい社会は与えてもらえると勘違いしている人が多い。そうではない。自分たちが声をあげて行動していかなければ、決して良い政治はやってきません。それが国民主権の意味であり、私たちは、健全な民主主義を実現する政党を育てなければなりません。

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