【08.08.10】革新・愛知の会 経済同友会終身幹事・全国革新懇代表世話人品川正治さんのお話(要旨掲載)に感動!講演と音楽の夕べに1429人

手をつなごう 国民が主人公の新しい日本へ

革新・愛知の会と全国革新懇共催の「6・3講演と音楽の夕べ」は、財界中心・米国追従の自公政治が決定的にゆきずまりを深める中で、「国民が主人公」の政府をめざし、国民的共同をすすめる革新懇運動への理解と共感を広く強める機会となりました。

元中日球団社長、自民党市議、元中小企業家同友会会長など1429名の方々が参加されました。
 ピアノの守光明子さん、ヴァイオリンの小林加代子さんの演奏。クラッシクからポピュラーまでの演奏に参加者は魅了。
 成瀬昇全国革新懇代表世話人のあいさつ。経済同友会の終身幹事、品川正治さんの講演、日本共産党衆議院議員の佐々木憲昭さんの講演に参加者は、大いに勇気づけられました。
 会場で訴えた中国四川省の大地震、ミャンマーのサイクロン被害への救援募金には、31万円を超える募金が寄せられ、さっそく、関係機関を通じて現地へおくりました。

主催者挨拶(要旨) 全国革新懇代表世話人 成瀬昇さん

革新懇が何故スタートをしたか
 

 革新懇は、「国民が主人公」の政府を展望し国民的共同をすすめるための組織です。 
 1980年1月に社会党が公明党と日本共産党を排除する「社公政権合意」を結び、革新統一に背を向けました。
 そこで、政治革新の統一戦線運動を暮らしや平和や民主主義を守る「三つの共同目標」に賛同する個人や団体、政党が思想信条、党派の支持の違いを越え、スクラムを組もうと、80年3月頃から全国各地で革新懇運動が、愛知県では80年5月21日にスタートしました。

社会党員であった私が革新懇運動に参加

 私は、40年いた社会党と決別し、89年の名古屋市長選挙で日本共産党の推薦する革新候補を応援しました。「社公合意」で革新運動が分断され、暮らしや権利・平和が大きく侵されていました。「反共主義を克服し統一して闘わなければ労働者国民の未来はない」厳しく反省したからです。 選挙結果は、オール与党対日本共産党の対決で、革新の竹内平さんは44%の得票を得ました。
 私自身は社会党を除名され、愛労評顧問も解任され、生活基盤を失いましたが、大変清々しい気分でした。19年経った現在もこうして胸をはって皆さんとお話できることを大変誇りに思います。
(拍手)
 その翌年、全国革新懇の代表世話人に選ばれ全国各地を回り、統一戦線運動の大切さや厳しさを学びました。私と同様、社会党の堕落に怒り、多くの方々が革新懇運動に参加されている事も知りました。自民党の悪政に反対して、保守層からも多くの方々が革新懇運動に参加されるようになってきました。

品川正治さんが革新懇運動に参加 勇気と元気、100万人の仲間を得た思い
 
 革新懇は、現在、構成員約450万人。職場・地域、青年革新懇が全国で764、愛知県にも55の組織が草の根の運動を広げています。
 アメリカべったり大企業本位の自公政権はあらゆる面で行き詰まり、末期的な症状です。民主党は自民党と同質同根であり、自民のスペアーです。憲法改悪賛成、大企業優遇税制を温存する基本政策などで自民党と一致する民主党に将来を託すわけにはいきません。(拍手)
 自民党の政治を大本から変える革新懇運動の発展のなかからこそ未来が開けてくると信じます。革新懇が28年前に掲げた「三つの共同目標」が光り輝いています。
 国民の声で政治が動く、激動の情勢の中で財界人として多年、ご活躍の品川正冶さんが昨年革新懇運動に参加されました。
 まさに100万人の仲間を得た思い、大きな勇気と元気を貰いました。 革新懇運動へ一層のご理解とご協力を、また、ご参加して頂くことを心から強くお願いします。

いま政治は変えられる 国政革新を語る(要旨)日本共産党衆議院議員  佐々木 憲昭さん

国民の声が政治を
動かす状況に

昨年の参議院選挙で与党が過半数割れになり、日本共産党の国会での存在は高まり、私ども奮闘した災害生活再建支援法、C型肝炎対策も法律が出来ました。 
 国民投票法が昨年5月の衆議院で強行採決され、法律上、憲法審査会が設置され、改憲原案の審議権限を持つとされる衆参両院の憲法審査会を始動させようと改憲派が執念を燃やしていますが、具体的には何も決めることが出来ません。国民は、改憲を求めていないからです。
 後期高齢者問題、年金、介護などを何とかしてほしいというのが多数の国民の皆さんの声です。
 住民税、所得税の増税、介護にしても国保にしても改悪に継ぐ改悪で、国民に12兆7千億円の負担増です。赤ちゃんからお年寄りまで1人当たり10万円、自民党政治の本質が非常によく見える状況になっています。

多国籍企業化など日本経済の大きな変化
 

 資本、大企業の規模が1970年頃と比べると10倍ぐらいになり、雇用は増えないけれど企業の力だけが大きくなり、搾取収奪が強まっています。中国やタイなどアジアの労働者の賃金は、日本の労働者の六分の一、十分の一です。日本の労働者の賃金は高すぎる、労働者の規制緩和をやりなさい。と圧力が掛かってきています。
 二つ目の特徴は、多国籍企業化です。生産拠点をアジア、中国など外国に持ち、国内では空洞化です。
 海外での生産比率はこの10年間に20%から30%に増えています。
 三つ目の特徴は、日本の大企業の株式は、外資系企業、アメリカの保有する比率が高まっています。2006年には、株主の三分の一はアメリカの企業が権益をにぎっています。株主に対する配当が増えて、労働者の賃金は逆にマイナスです。雇用形態も大変な状況です。これが日本を支配する企業の特徴です。
  
歪んだ政治を正す革新懇運動に期待

 私たちは、庶民増税に反対です。大企業は史上空前の儲けをあげていますから応分の負担をすべきです。しかし、自民党はもちろん、民主党も大企業に対して応分の負担を、と言えない。
 日本共産党は、今の庶民いじめの政治に正面から解決案を示し、財源はここにあるとはっきりと示しています。これができるのは、企業団体献金を一円も受けない政党だからです。
 この歪んだ政治を正していく、革新懇運動は国民の大きな政治を変える闘いの奔流として大きく飛躍をしようとしていると思います。
 私どもも全力をあげて頑張る決意を申し上げて国会報告とします。

このままでいいのか! 日本――財界人の直言(要旨) 経済同友会終身幹事・全国革新懇代表世話人 品川 正治さん

私は1924年生まれ、一身にして二世を生きた男です。最初の22年は大日本帝国憲法の臣民として、その後の62年は日本国憲法の主権者たる国民の1人として生きてきたわけです。小学校で満州事変、中学で日中戦争、高等学校の時には太平洋戦争が勃発。私の前半生は戦争に明け暮れたものでした。

 私の三高時代――召集を前に

 私の学生時代は、いつ召集令状がきてもおかしくない状況でした。召集令状を受け取ってから最後の授業に出る学生がどのクラスにもいるわけです。授業を続けることは難しいだろう、勤労奉仕、軍需産業にとられる人、戦場に赴く人がいるのです。学校は寛大で学生の要望を聞き取り、京都大学の湯川秀樹さん、哲学者の田辺元さん、詩人の三好達治さんを呼んでこられた。
 三好達治先生は、5日間の講義が終わった途端に壇上で号泣されたんです。「若い君達を死なせて俺が詩を作れるか」と。私にとっても忘れられない記憶です。
 子どもの時から忠君愛国の精神的な動員を受け、国家が戦争をやっている時に国民の1人としてどう生きるのか、どう死ぬのか、これに思い悩みながら毎日を送っておったわけです。

私の戦争体験――
餓死、玉砕と対比
して

 
 2年生の秋に召集令状を受けとり、鳥取の連隊に入りました。一緒に入った現役120名。完全に武装し営庭に整列しました。鳥取連隊全員2千数百名が私達と向かい合って整列し、連隊長が「今日入隊した兵隊の顔をよくみておけ、この男達は死にに、行くんだ。殴ったりするような将兵がおれば、即座に斬るぞ」とおっしゃられたんです。
 軍隊に入った以上は、戦死は覚悟しておりました。しかし、「この男達は死にに、行くんだ」といわれた事に非常に強い衝撃をうけました。
 言われたとおり、たった2週間で中国の最前線に送られ、手榴弾を12発も体に巻き付け、擲弾筒手として、あけてもくれても戦場に立ち、白兵戦も経験しました。迫撃砲の直撃を受け、戦場に倒れ伏した経験もございます。
 南太平洋のニューギニアとかガダルカナル、ビルマのインパール、フィリピンのレイテで敵の弾で亡くなられた方たちは、2割か3割です。あとは全部餓死しておられる。「俺を放って置いてくれ、さようなら」と。その日がその方の戦死の日です。「隊と別れたその日をもって戦死とする」と軍隊の内規でも書かれておりました。私の足には、未だ弾の破片が残っている状況です。しかし、戦争・戦闘の生の体験はお話してこなかったのです。
 硫黄島、沖縄・アッツ島こういう戦線におられた方は、玉砕しか方法がない、勝つ事は考えられない。それを覚悟して戦争・戦闘を続けておられた方たちなのですね。私の中国戦線における戦闘状態とは比較にならん過酷な戦場で、トラウマを60年間かかえて生きて来られたわけです。私にも同じようなトラウマがあるのです。
 激しい戦闘で、私から14~15メートル離れた壕にいた戦友が大きな声で「やられた!」と叫び声を上げ、激しくかぶりを振りました。雨あられのように敵弾が飛んでいる中で壕を飛び出して助けに行くということは無理だったろうと思うんです。しかし、「何故あの時、戦友を助けなかったのか」と。そのトラウマを更に大きくしたのは復員して大学に戻っておりました時に、亡くなった戦友のお母さんが訪ねて来られたのです。
 島根県の山奥から東京まで、「息子の最後を良く知っているのは品川さんだろうから話してくれ」と言われたけれども、私は面を上げることさえ出来ませんでした。
私の戦後における座標軸――戦争を起こすのも人間、戦争を止めるのも人間
今お話しないと伝わらなくなるんじゃないかという気持に駆られ、80を越えようやく自らの戦闘体験をお話しすることを自分の課題としてやってきました。
 戦争が終わって、何のために勉強しとったのかと後悔にとらわれました。戦争は地震でも、天災でもありません。又、国家という抽象的なものが起こすのではないのです。戦争を起こすのも人間です。それを許さず止めることが出来るのも人間だ。お前はどっちかと、国家が起こした戦争の中で、国民の1人として正しく生きるのはどういう生き方なのか、そればっかり考えさせられておった分、惨めでした。
 しかし、戦争を起こすのも人間だ、止める努力が出来るのも人間だ。これをはっきりと自覚しましてからは、これが、私の座標軸です。私の戦後の一貫した生き方の基本になっております。
 初めて日本国憲法に出会った日のこともまざまざと覚えています。中国で終戦を迎え、翌年5月
に山陰の千崎港に復員して参りました。その復員船の中で日本国憲法草案を知りました。民家からかり集めてきたボロボロの新聞が各隊に配られて、「お前達は明日上陸する。日本国憲法草案がすでに発表されておる。よく読んで帰れ」と。隊長が私に「品川、大きな声で皆に読んでくれ」と渡されたのです。今の日本国憲法の前文、前の文から始まって今の皆さん方が目にされる憲法です。9条のところまで来た時に全員が泣き出したのです。私も声が詰まって読めなくなりました。

 成文憲法に戦争放棄を明言し、陸海空軍は持たない、国の交戦権は認めないと書いてくれたのか。

ここまで日本国は、踏み込んだのか、これでやっと生きていけるというのが実戦に参加した兵隊の気持でした。死んだ戦友の霊も慰められる、アジアの人とも接触、交渉も出来る。アジアに対する贖罪もやっていける。日本国のために最大限の努力をしようじゃあないか。この気持ちで全員が泣きました。憲法との私の出会いです。この出会いは忘れることができません。 
 
9条の旗竿は国民の側にある
 
 しかし、権力を握っている政党は、日本を二度と戦争できない国にしていく決意をされた事がない。しかし、国民の支持を考えると憲法に手を付けるわけにはいかないと、解釈改憲と称して憲法の範囲内でここまで出来る、という言い方で自衛隊を、有事立法を作り、特別措置法を作り、ついにイラクにまで自衛隊を出してしまった。その意味では、私が泣いて受け取った9条の旗はボロボロになりました。しかし、旗竿は国民が未だ握って離さない。旗竿ははっきりと国民の側にあるのです。(拍手)
 これが今の日本国憲法をめぐる情勢です。
 
日本国憲法9条は、戦争を人間の目で見ている

 戦争をどう見るか。日本国憲法9条は、世界でたった一つ戦争を人間の目で見ているのです。  戦争はミサイルを使い、爆弾を使うのです。必ず罪のない母親が、赤ん坊が、子どもが死ぬのです。それを知っている日本は、どんなことがあっても戦争をやるべきじゃあないというのが日本国憲法です。(拍手)
 憲法を論議する期間は、1946年の2月から11月の公布までの間、日本は陸軍省も海軍省も参謀本部も軍司令部も無かったのです。
 何処が統括したのか、厚生省の復員援護局です。その時に日本国憲法は成立したのです。これを何故、日本が捨ててしまい得るのか!(拍手)

人間の目で経済を見る――日本はアメリカと価値観を共有せず
 

 経済も人間の目で見る(大きな拍手)。それが私の経済人としての基本の座標軸です。
 今、人間の目どころか国家の目でさえ見れなくなっています。金融資本の目でしか見ていないのです。小泉内閣以降の日本の権力政党の政策は、グローバリズムに名を借りた市場原理主義です。
 小泉さんがよく、「日本とアメリカとが価値観を共有している」といわれましたが、アメリカと日本の資本主義は違うんです。   
 政界、財界それにマスコミ界これが全部それにとらわれております。何故、日本とアメリカとが価値観が違うと言えないのか。
 日本は9条をもってる国、アメリカは現在、戦争をしている国です。世界でたった一つ原爆を落とされた国は日本、落とした国は、アメリカです。価値観を共有してるといえますか。
 「官から民へ」「大きな政府から小さな政府」へと今の政策が全て進められている。中央と地方合わせて一つだけ大きな要素がある。それは政府の借金です。(大きな笑い)これは抜群です。  今、日本政府が抱えている国債はアメリカ、ヨーロッパから借りているのでもない。全部、国民の個人の家計部門から借りてるわけです。誰のために借りたのか、あのバブル崩壊時に企業を助けるために、1%のGNPを上げるために100兆使っているのです。企業は、史上最高の利益をあげている。それなら企業が返すのが当たり前じゃあないか。(大きな拍手)
 更に法人税を下げ、その赤字はまた、国民の個人の家計部門のお金で処理しようとしているのです。さらに、消費税、年金、健康保険を問題にして個人の家計部門で処理して貰おうとしてるわけです。「大きな政府から小さな政府へ」と欺瞞をいい、「官から民へ」と問題をすり替えているのです。許せない。完全な詐欺です。(大きな拍手)

国民が日本、世界を変える時  

 日本とアメリカとは価値観は違います。そう言い切る時期が来ているのです。(大きな拍手)
 外交官、政治家、行政官に期待するのは無理です。もう国民の出番です。(拍手)国民しかないのです。(大きな拍手)選挙これも皆さん方が主権者です。「ノー」ということを皆さん方が言い切った暁には、必ず日本は変わります。日本が変わるだけではありません。アメリカの世界戦略も変えざるを得なくなるのです。(大きな拍手)
 世界史の未来が変わるのです。
 日本国民のお一人お一人が今、そういう立場に立っているのです。
 日本の長い歴史の中で初めてだと思います。世界史を完全に変える力を持っているのは、今の日本の国民です。

 どうも、ありがとうございました。(大きな拍手)

参加者の感想

▼革新懇らしく新鮮で包容力のある集会でした。

▼大変よかった。よい企画、心地よい音楽でした。品川先生の話は生々しい体験談で聞き入りました。戦争するのも人間、止める努力をするのも人間、戦争をやらない憲法、心におちる話でした。

▼希望を持ちました。人間の目で見ている修正資本主義の展開が経済とくらし、平和の運動を切り開いていくことを望みます。

▼品川氏は、自らの体験にもとづいたお話で、感銘を受けました。平和で弱者が最も大切にされる社会をとりもどす大きな力になるものと信じています。佐々木氏のお話し、演奏も良かったです。元気をいただいて家路につきました。

▼心に訴える集会でした。音楽も理屈でなく心が洗われるような時間でした。品川さんの講演も、戦争の話、高校の三好達治講義の話、真情に訴えかけて来て涙があふれました。

▼素敵な演奏、ありがとう。はじめて「生」でツイゴイネルワイゼンを聞きました。品川さんの「平和」への確かな思いに感激。憲法9条を改めて守らなければと思いました。「経済」を国民の目で見ることが必要!本当にその通りです。

▼今の日本の姿がよく見え、希望の持てる話でとても良かったです。人として生きる!大切なことを忘れないでいきたいです。

▼品川さんの話とてもすばらしかった。はげまされた。がんばらねばと心がひきしまった。

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