【15.09.10】安保法案廃案へ!国民の声で変えられる―もとむら強さん(武豊町議・創価学会員)

 
もとむら 強さん

武豊町議会議員。1952年10月27日生まれ 熊本県出身。2014年9月に公明党を離党、支えあう社会、人情味あふれる町づくりをめざし現在3期目。
現創価学会員。

戦争ほど残酷なものはない

私は、昭和55年3月8日に創価学会に入りました。池田大作さんの『人間革命』を読みあさりました。
 第1巻第一章に「戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない」とのくだりがあります。非常に強烈な印象を受けました。 活動には平和思想が流れており、創価教育学会理事長(初代)、創価学会会長(第2代)の戸田城聖さんは、戦後の焼野原に一人立ち「戦争はぜったいにいかん、原爆を使うものはいかなるものでも悪魔である」と決意をされました。
 私の活動の根本はここにあります。

昨年6月武豊町議会で意見書を採択

 昨年6月に、共産党の梶田稔さんが集団的自衛権行使容認に反対する意見書の素案を持ってこられました。「ぜひ今度の議会で意見書を提出したいので意見を聞かせてほしい。どれだけ修
正を入れてくださってもいい。」と言われました。私は、提出するだけではだめで議会で通さないといけないと思いました。議長を除き9人いれば過半数をとれますので働きかけを行い自民系議員らを説得し、1票差で可決させました

信念貫き公明党を離党

 なぜ、集団的自衛権の閣議決定に反対したかといいますと、私の中には絶対平和主義が根本にあります。公明党員としての活動をしていましたが、公明党の山口那津男代表は自ら「集団的自衛権行使は断固反対である」と発言していました。公明新聞でもそのように述べていました。
 あわせて昨年の5月12日、「創価学会としてはこの集団的自衛権行使の問題については歴代政権がとってきた解釈を支持します。部分的であっても行使容認があったとすれば憲法改正の手続きをすべきものである」というような内容のコメントがだされました。
 これはまさに自分自身の思いといっしょであると思っていました。ところが公明党が賛成をして閣議決定がなされました。怒りで震えました。
 そのようなことがあり、集団的自衛権行使反対の意見書を採択させたのですが、これが後に反党的だと問題視されました。
 しかし、信念を貫き離党しました。
 今春、町議選に無所属で出馬しました。学会関係者に「あなたの個人票は(学会票の)2%だ」と言われましたが前回並みの得票で3選されました。一部の学会員も陰で応援してくれたことを知り、嬉しかったですね。

全国の創価学会員から激励

 「集団的自衛権行使容認に反対した公明党議員がいる」と朝日新聞、TBSなどに出演するようになると私のブログを見たという方々から激励のメール、手紙がたくさん寄せられました。その一部を紹介します。「うれしくなりました」、「地区部長をしています。衆議院選挙では公明党を入れてねといいながら私は公明党に投票しませんでした。今度は来年の参議院選挙で自ら投票しないと公表します。」、「私は、以前学会にいたものです。今日あなたのニュースをみて唯一、正義だとうれしくなりました。一人立つ精神、応援します」、「廃案への大きな壁を乗り越えるには、やはり創価学会員の目覚めしかないと思います。創価学会員ですので何が有効か、毎日悩みつつ挑戦しています」、「さっさと平和の党の看板をおろすべき」など全国各地から声が寄せられています。直接訪ねてこられた創価学会員の方もおられます。

国民の声によってこそ変えられる

 創価学会の人たちが声をあげていくこと、そのために私の役割があると思います。
 ブログにも載せたんですが、昔の上司の人が「一人の町会議員として挑戦している今の気分はどうかね。現代に坂本竜馬は現れないよ。」とはき捨てるように言って行かれました。
 私は時代錯誤もはなはだしいと思いました。国民の声によって変えられるということを知らないんだと。 今、創価大学出身者、OB、学生たち創価学会の人たちが立ち上がっています。 憲法学者の98%が違憲といっています。
 新国立競技場、沖縄辺野古問題、いずれも国民の声に押されて変わってきているのではありませんか。
 戦争は始まれば行き着くところまでいかないと終わらないのです。

自分に与えられた使命

 安保法案廃案へのキャスティングボードを握っているのは公明党、これを動かすのは創価学会です。
 一人ひとりの創価学会員が全国でもっともっと今以上に声を上げれば廃案にしていくことができると信じています。自分に与えられた使命として、いま自分のできることを何でもやろうという気持ちです。
 私は、公明党を離党した議員として、立ち向かっていきたいと思います。

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