■安保闘争の評価
暮らしている感性の中から生まれた思想で無ければ知識にすぎないのだ。
反対運動は、結局は政府側に押し切られたという見方が革新の側の見解であった。成立してしまったのだからそういえるのだけれど、岸内閣は退陣しなければならず、政府はイデオロギー闘争を一切やめて所得倍増政策を掲げなければならなくなったのだから、単純に負けたといってしまっていいのか、というのが僕の判断だった。(『辻井喬+堤清二回顧録 叙情と闘争』(中央公論新社、2009年5月発行)
P167)
■西武百貨店入りの条件
母親のほうは左翼思想の染まっているらしい息子にはやく実社会の体験をさせたいという意図からであろう、やはり百貨店入りを父親と一緒になってしきりにすすめた。僕は、この慫慂(しょうよう)に対して、二つの条件をだした。
そのひとつは、労働組合の存在を認めること、2つ目は毎年公募で大学卒業生を採用することであった(『辻井喬+堤清二回顧録 叙情と闘争』(中央公論新社、2009年5月発行)
P33)。
■財界の朝日新聞批判に反論する
早速、藤井丙午(当時、新日鉄副社長‘財界の政治部長’)が、《おたくの新聞(朝日新聞)が、ここのところ2度にわたってアメリカ空軍は北爆を止めるべきだという社説を掲げています。これは明らかに偏向である。もし、そういう主張が続くなら、われわれはあなた方の新聞に広告出稿が出来なくなる。その事をお伝えするためにきたのです》(・・・・・中略・・・・・・)
財界人の側に座った僕は手をあげて「僕はあの社説は偏向しているとは思いません。北爆を続けてもアメリカは国際的に孤立するだけで、勝つことはできないと思います」といってしまった。(P103、104、106)以上、『辻井喬+堤清二回顧録 叙情と闘争』(中央公論新社、2009年5月発行)
■敵を味方にする力とは
敵を味方にする力、これは人間の最も美しい法則であると私は思っています。(略)・・・相手の心に届く言葉を持つためには、話しかける相手の本当の願いを受け取る力がこちらにないといけない。(略)
それからやはり人間の美しさのもう一つ、勇気を持った時、人間は美しくなれる。今、勇気を発揮しなければならない一つの場所は何かというと、世論というにせの多数派、これにたいして異議を申し立てる。
(『憲法に生かす思想の言葉』新日本出版社)