九条の会などでの講演がたいへん評判の長峯さんの研究室をたずね、お話を伺いました。
長峯 信彦さん プロフイール
名古屋生まれ。県立千種高校、早稲田大学法学部卒。同法学研究科、法学部助手、川崎市オンブズマン(公設)専門調査委員をへて、現在愛知大学法学部助教授(憲法)。趣味はバイオリン演奏。
中学生の頃から政治に関心が
中学生の頃から政治に関心がありました。「もっと外に目を向けて国際人としての教養を積まなければいけない、元号とか靖国神社にこだわっている時代は終わった」という父の影響もうけていたと思います。
押しつけ憲法論
について
「日本の憲法は押しつけられた」という主張は以前から根強くあります。押しつけられたのは、一体だれに対して押しつけられたのか。その中身は何だったのかと問うてみれば、答えは歴然としています。当時の天皇制権力を頂点とする日本の強固な支配体制を崩すためには、GHQの外圧が必要だったことは言うまでもないでしょう。しかし、1945年当時の日本政府の提案した憲法草案は、明治憲法とほとんどかわらないものでした。起草にあたった松本烝治は、「主権者としての天皇」には一切、手をつけず、明治憲法のやき直しをするだけだと明言し、実際に出てきた日本政府案はとんでもない古色蒼然としたものでした。
そこで作られたのが、GHQ草案です。その意味では「当時の日本の政府権力者にたいしては押しつけられた」のかもしれませんがその内容と制定過程を見れば、当時の「日本国民に押しつけられた」とは言えません。
帝国議会で昭和天皇が発議、明治憲法改正という手続きを取り、枢密院の審議も経て、さらに議会で6月から数ヶ月間、きちんと審議されているのです。
GHQが注目した
憲法研究会の草案
GHQが憲法試作に取りかかった時点で、研究者、政党などによる憲法草案が既に発表されていました。その中で、特にGHQが注目したのが憲法研究会の草案です。
当時は天皇をどうするのかが最大の問題で、日本政府の中枢も天皇の地位の確立を最大の目的にする。マッカーサー司令部は、なんといっても七百万人の日本軍を武装解除した天皇の威光を無視しては、日本統治は出来ないと考え、天皇を訴追しないということを早くから固め、新憲法の制定を急ぐ背景がありました。
GHQは、そのときに憲法研究会の草案に出会ったのです。その研究会の1人に憲法学者の鈴木安蔵という人がいます。学生時代に治安維持法第一号で検挙、投獄されます。農民や貧しい人のために考えるだけで投獄する国家と権力を正当化する憲法とはいったい何なのだろう、二度と天皇を利用させてはいけないと考えるわけです。そして、主権は国民にある。それに加えて、天皇の即位は、議会の承認を得ることとする。天皇の地位を民衆の承認によって成り立つものであると明記し、1945年12月26日に公式に発表しました。
GHQ草案が日本政府に提示されたのは、翌年の46年の2月13日ですが、もともと象徴天皇制や社会権、生存権、労働者の権利、教育を受ける権利など、日本国憲法に書き込めたのは、決してGHQだけの功績ではありません。というのもこれらのものは、アメリカの憲法にはなかったからです。現行憲法に明記出来たのは、憲法研究会の案を文字通り下敷きにしたからです。
鈴木安蔵は植木枝盛を代表する明治の自由民権運動も研究しています。植木枝盛は、明治憲法が出来るまえからすでに人民主権説を唱えていたのです。鈴木安蔵は、明治初期に考えていた植木枝盛の案よりも更に後退した「象徴天皇」を書かなければならないもどかしさを後に語っていますが、全体の取りまとめ役にたったので、受け入れられる案をということで、牙をぬいて象徴化するというところに主眼をおいたのです。
分かりやすく
発信する努力を
若い人たちに事実をきちんと伝える、出来るだけ分かりやすい言葉で発信する努力が必要です。
大学で、毎年「君が代」の話をします。ジャイアンツの悪口をさんざん言った後で、どういう気分で聴いていた?ジャイアンツフアンの人はいい気分しなかったよね。ドラゴンズの応援歌をみんなで一緒に歌おうといったらどうする?絶対に歌いたくないよね。といって「君が代」の話をします。そうすると彼らにとっては、受容可能な話になっていくのです。たとえ話や身近かな例で誠実に話すことが大事だと感じますね。
若い人の間では、憲法九条はいいけれど、やっぱり攻められたらというのが本音であるんですよ。憲法九条は座して平和を待つものではなく、むしろ平和のために汗をかくことを求めているものです。
たとえば、ひどい悪ガキがいる。この子を黙らせるためにどうする?
一番手っ取り早くて即効性があるのは、棍棒でも持ってきてその子を殴ることだよね。その子は静まるだろう。でも長い目で見てどういう効果や結果をもたらすかはわかるよね。
軍事力による「平和」は即効性があって分かりやすいけれど、それは自分の思考停止と怠慢を正当化するものでしかない。ここに思いが至れば憲法九条の哲学がいかに深くて人間味のものかということ、そしてどれだけ努力がいるのかということもわかっていく。そういうところを考えてみて欲しいということを話します。
憲法九条は座して平和を待つものではなく、平和のために自ら考え行動することを求めているのです。
人類社会に大きな
希望を与える九条
現憲法が日本のみならず、アジアと世界の平和に貢献してきたことは紛れもない客観的事実です。しかも、九条の徹底した平和主義の哲学は、世界の人々に「戦争のない世の中をつくろう」という強い意志を示し、人類社会におおきな希望をあたえています。
いまこそ私たち自身が人類の希望と理想の灯である「憲法九条」を守るべく奮闘しなくてはならない時です。