【07.06.10】マイケル・T・シーゲルさん(南山大学助教授)

21世紀の平和の基盤に最も必要なものは 憲法九条憲法「改正」すれば、日本の軍事力は脅威に

 
若いとき、日本への嫌悪感をもっていたというマイケル・シーゲルさん。日本の歴史に詳しく、流暢な日本語で二十一世紀の平和の基盤をもとめてのお話しを大学の研究室に伺い、お聞きしました。

マイケル・T・シーゲルさん
 
 1947年オーストラリア生まれ。1972年カトリック司祭叙階、1973年に来日。1993年神学博士号取得、1995年~2001年にカトリック神言修道会ローマ本部で「正義と平和」担当。現在、南山大学助教授、社会倫理研究所員。

警鐘をならしたい

 日本の平和憲法の「改正」の動きは、アジア太平洋地域に多大な影響を与えるものです。憲法「改正」によって日本の軍事力は周りの国に脅威として映るようになります。日本は更にアメリ
カに依存し、軍事関係に組み込まれていくことになると思います。アーミテージが、「憲法九条は同盟の障害物だ」と発言したようにアメリカが、憲法九条の「改正」を押しすすめていることは明らかです。

一般の日本人がどういう目にあうのか、私は、警鐘を鳴らしたいと思います。20世紀の安全保障は、抑止、軍事力を持って、他の国が軍事行動を起こさないようにという考え方で進められてきました。しかし、抑止、強硬姿勢は戦争の回避につながりません。国の安全保障のために取った対策(軍備、同盟など)が他の国から脅威とみなされ、それらの国もその脅威に対して軍備増強をすることで軍拡競争が引き起こされ、エスカレートしていくという「安全保障のジレンマ」をどうやって乗り越えるのかが重要です。

日本は、過去、アジアに侵略し、現在、世界有数の軍事力を持っていますが、憲法「改正」の話が盛んになる1990年代の始めころまでは、日本の軍事力は周りの国に脅威を与えていませんでした。それは、なぜかというと、憲法九条があるからです。

 憲法九条がある以上、どんなに軍事力をもっていても他の国に侵略することは出来ません。その事実が周りの国々に安堵感を与えていたと思います。憲法九条を変えたときは、どうなるかということは予想できると思います。日本の軍事力はあっという間に脅威をなすようになります。

日本が世界に示す
憲法の平和条項

 21世紀は、軍事力による考え方を捨てなければなりません。しかし、それを一足飛びに無防備にするのは、非現実的で、人々になかなか受け入れられません。それでは、どうするのか、日本が世界に示していると思います。
 つまり、憲法に平和条項をいれるということです。日本以外の国でも憲法に平和条項を入れる運動は常に起きています。つまり、21世紀の平和の基盤に最も必要なものは、九条のような平和条項なのです。

 日豪両国の
   ワークショップ

 2005年9月に南山大学で、日本とオーストラリアの学者と専門家が参加し、日豪両国の国際関係を取り上げるワークショップを行いました。米国との関係、対テロ戦争、アジアとの関わりなど両国の置かれている状況は、非常に類似しています。ワークショップは、アジア、太平洋地域と世界の安全、より公平な国際秩序形成に日本とオーストラリアが貢献できる道を市民レベルで探ろうというものでした。今年の12月にはオーストラリアで引き続き開催します。

 日本とオーストラリアは、イギリスと並んで積極的にアメリカに協力する国であり、アメリカが一番利用しようとする国だと思います。それでいいのか、市民レベルでも考えないといけないと思い、両国の政府の理論とは違う視点から考え、広げていくことの取り組みはたいへん重要だと思います。

日本に偏見、嫌悪感
    をもって育つ

 1947年に生まれた私は、日本に対して偏見、恐怖感、嫌悪感をもって育ってきました。戦争で日本軍と戦った、あるいはその捕虜になった元兵隊とかなり出会って育ってきました。私は、日本に任命されたときには、本当にためらいました。行くべきかどうかと。でも行ってみることにしました。
 1973年に来日しました。東京の吉祥寺のカトリック教会、愛知県の刈谷教会、カトリックのボランティアの海外派遣活動にかかわり、89年からイギリスに行き神学博士号を取得、その後、日本にもどり、95年から修道会のローマ本部で6年間、2001年に日本に戻ってきました。
 何年間かかかりましたが、日本人と知り合うと少しずつ偏見がなくなっていきました。異文化において共通の人間性を発見してきた感じがします。いい友人ができ、自分にとって身近に感じ、日本に馴染むことが出来ました。日本の歴史、映画や文学、美術はたいへん興味があります。なかなか忙しくて時間がとれませんが、時間をみつけては、中仙道を自転車で走ったりしています。

人間の大切さが見失われている
 
 日本のアイデンティティは、飛鳥時代、ひょっとすると縄文時代にさかのぼるかもしれません。もちろん、明治から昭和の前半までの戦争や戦後の歴史も今の日本人のアイデンティティを形成していると思いますが、さまざまな歴史的な経験の積み重ねから得たものだと思います。
 しかし、今、日本で失われているものは多いですね。極端にお金が人間関係に入れ替わり人間の大切さが見失われている気がします。
 「日本的なものは、軍国主義的なものだ」と考えている人が平和活動をしている人たちの中にもいます。でも、私はそうじゃないと思います。本当の軍国主義はわずかな20年ぐらいです。それをもって、日本を解釈することはおかしいと思います。日本の伝統的文化をあまりにも特定な時期に結びつけることはないと思います。明治で天皇と結びついたことで、何か失われた感じがしますが、もっと、日本人が広く日本の歴史、日本人を知り、日本の伝統を大事にしてほしいと思います。

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