沖縄戦の体験、基地の問題
比嘉俊太郎さんは、映画「GAMA 月桃の花」で描かれた事実と重なる沖縄戦の体験者です。今年、愛知沖縄県人会連合会会長に就任されました。お忙しい中、沖縄戦のことや基地の問題について語っていだきました。
比嘉 俊太郎さん
1938年沖縄県那覇市生まれ。愛知沖縄県人会連合会会長。愛知工業大学客員教授。
両親と姉を沖縄戦で失う
私は、両親と姉を沖縄戦で失いました。私ども愛知沖縄県人会連合会などが実行委員会をつくり、4月24日上映の沖縄戦の実像に迫った映画「GAMA 月桃の花」は、私の辛い体験と重なるものです。
那覇市の天久(あめく)と
いう市街地が一望できる高台に住んでいましたが、1944年10月10日、空襲で那覇市街地の90%が焼失、廃墟になりました。
家族6人と叔父の家族で逃げました。どこも爆撃で火の海、亀甲墓(沖縄の墓)に避難しましたが、だんだん戦争が激しくなってきました。
米軍は、翌45年3月26日は慶良間諸島、4月1日には沖縄本島中部西海岸(読谷、嘉手納地区)に上陸しましたので、北の方にもいけず、南へ南へと逃げました。私も叔母に手を引かれて逃げました。死体がごろごろしていて、置き去りにされた子どももいました。当時6歳の私は泣いてばかりでしたが叱られて、最後は泣く気力もありませんでした。那覇市から沖縄の最南端に近い真壁まで逃げました。その途中で父は爆弾の破片が頭に貫通し即死しました。目印になるとがった岩の近くに埋めました。その後すぐに、洗濯に出ていた母親が爆弾にやられました。「子どもには見せるな」という叔父の声が聞こえました。叔父は、父と同じ所に母を埋めました。
日本兵に壕を追い出され
戦後、私が小学校4年の時、叔父と一緒に父と母のお骨を掘り返し、喜屋武岬近くの米須の浜辺で洗って持ち帰りました。当時、雨あられのように降る爆弾の中、那覇から1ヶ月以上かけて真壁(最南端にある地域)まで逃げました。
壕の中へ逃げ込もうとすると日本兵に追い出され、小さい壕を見つけて隠れました。私たちのいる壕に日本兵がきて「俺らも入れろ。子どもが泣くと殺すぞ」と。叔母に手を引っ張られて逃げました。ススキの影に隠れていたら、銃弾を打ち込まれ、姉は胸を打ちぬかれ即死でした。
叔父がすこし英語を喋れたので民間人ということがわかり、助かりましたが親兄弟が殺されても悲しむ余裕はなかったです。これからどうなるのか不安でした。普天間の近くの収容所で敗戦を迎えました。
話せなかった戦争体験
いままで友人にもいっさい戦争体験の話はしていませんでした。2008年に「ピースあいち」で戦争体験を語って欲しいと頼まれたことがきっかけです。
南部戦線は、悲惨なものでした。日本兵は沖縄住民を壕から追い出し、泣く子を殺害し、米軍は壕を火炎放射器ですべて焼き尽くします。牛島軍司令官は「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」といって自決。いっそう戦場は泥沼化、8月15日を過ぎても未だ戦闘は続いていました。沖縄部隊の降伏調印式は9月7日でした。
沖縄戦とは、住民を巻き込んだ唯一の国内戦です。県民の生命、財産を守るたたかいではなく、本土防御、国体護持で捨石作戦でした。
長期にわたる激しい地上戦は、鉄の暴風といわれ、人間の肉体、精神を破壊しました。現地総動員作戦で本土決戦の兵力温存のため、食料などは現地調達です。 一般住民を戦闘に参加させるために、「軍人、軍属を問わず、標準語以外の使用を禁ず。沖縄語で談話したるものはスパイと見なし処分をする」と。軍国精神を植え付けられ、女性はアメリカに捕まったら、犯されるから死んだ方がましだと自決。幸い、私たちは、軍人と一緒の壕にいなかったから助かったのかもしれません。沖縄戦の死傷者は、20万人を超えます。
戦争は悲劇しか もたらさない
占領となったのは沖縄県でしたが、沖縄県民だけの体験に留めてはならない。戦争とは何か、国土が戦場となったときどうなるのか、軍隊と住民がどのような関係になるのか、さまざまな問題を多くの犠牲と引き替えに教訓として残していかないといけないと思います。戦争は悲劇しかもたらさないからです。
これから、何らかのかたちで、戦死者たちの無念を記録し、その霊を供養することが必要ではないか。戦争に対する判断を培って平和を持続させる力を尽くすことが必要です。またそのことが、死せるものへの責務であると思っています。
普天間基地は撤去を!
普天間基地は撤去しかありません。だれも自分の所にくるのは嫌です。今の時代、基地はいらないと思います。普天間基地を無くし、嘉手納も少しずつ無くしていく。
戦後、海兵隊の家族が来るからといって強制的に引っ越しさせられました。この海兵隊は山梨県と岐阜県からきて居座っています。代々の土地は全部取られてしまいました。まだ、復帰前でしたから、アメリカは占領でやりたい放題です。
基地を減らしていく、それは、沖縄も、本土も一緒です。
思いやり予算といって、土地は無償で提供する、お金は出す。そんな馬鹿なことはないですよ。日本だけです。彼らが出て行かないのはタダで駐留できるからです。普天間にも、沖縄にも、勿論愛知にも、基地はいりません。鳩山首相はアメリカにきちんとものを言うべきです。