【18.03.10】垣見信夫さん(津島市議会議長)―世界にから核をなくすことが私たちの使命

日本政府は禁止条約に署名を!

 
垣見 信夫さん

1949年生まれ。津島市議会議長 2017年5月に就任。第10師団自衛隊募集相談員。
津島市体育協会理事長。
  

日本最初 非核都市宣言

 1982年に津島市は日本で一番早く核兵器廃絶宣言をおこないました。
 わたしは秘書課の職員でした。当時の井桁市長は「津島市の頭の上におちたらどうする」と言われましたが、単純明快です。人間の命はもちろん、あらゆる生き物が一瞬にして途絶えるのです。
 私は親からも親戚からも戦争のことはあまりきいたこともなく、ヒロシマナガサキの原爆を写真で見るだけで人ごとのように思っていたところがありました。 しかし、ソ連、イギリス、フランスなどがどんどん核兵器の開発をすすめ、アメリカの原爆実験で日本のマグロ漁船と乗組員が被爆という中でこれは川向こうのことではないと直感的に感じました。
 元市議の杉山良介さんが紹介となった請願が出され、反発の声もありましたが、平岩和子市議(自民党県連女性局長)が「イデオロギーは関係がない」と賛成され、可決となりました。それを受けて、市長から提案された「非戦・核兵器廃絶宣言」が全会一致で決まりました。
 保守系の議員、職員のみなさんにもそのことを理解していただくように取りまとめたことを思い出します。
 核兵器は犠牲になった人たちの生命、財産だけでなく 2世3世に影響をあたえる、風評被害など、核は人類にとって必要ないと痛烈に感じました。

イデオロギーではない

 チェルノブイリ、スリーマイル、福島原発と直近で起きている大きな事故です。
原発にも賛成はできません。地熱、風力など自然のエネルギーで上手にこの社会がまわっていくのではないでしょうか。たまたま、長崎のクリスチャンの方の老人ホームにご縁があって、ミサでご挨拶をさせていただく機会がありました。
 被爆者の方の生の話を聞き、世界から核を、地球上からなくすことが私たちの使命ではないかと思います。自民党だから、共産党だから、民進党だからということではありません。
 原子力は、人間が作ったとてつもないもの、廃棄するにもとてつもない時間がかかります。人間が処分できないというものは作るべきではありません。

日本政府は条約にサインすべき

 日本は、世界で唯一の被爆国です。世界でも核兵器廃絶の流れが進みました。 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。
 こういうときになぜ、日本の政府は否定的な態度をとっているのですか。
 世界はこれまで核兵器の拡散競争をすすめてきました。アメリカがもっているからロシアも、じゃあ中国も、もっと強烈な核兵器をとフランスも開発する、核抑止力、これは核拡散の競争です。
 アメリカには「あなたがたはやめるべきですよ。ドンパチやってしまったら、もっとひどい被害がでます。」と日本政府の取るべき道はこういう道ではないかと思います。
 私は自民党の党員ですが、核兵器廃絶条約にサインすべきだと思います。
 安倍総理には言っても聞いてもらえないかもしれませんが、イカンものはいかんのです。同じ党員であっても言うべきことはきちんと主張していきます。それで「自民党をやめなさい」と言われれば「やめます」ということです。
 世界が核の拡散の競争ではなくて、核廃絶に向けて競争する。そういう考え方に変わっていかないといけないと思います。
 あなたは「核兵器を日本で作っていいのですか。核を使っていいのですか。」と言われたらどう答えますか。

自衛隊はあくまで専守防衛

 憲法9条2項のことが大きく取り上げられていますがもちろんそのことも重要ですが、憲法を変えるかどうかということは、こんなに急ではなく、もっと時間を十分かけて、前文から含めて憲法学者の方の意見も聞き、日本の天皇制を含めどうなのかとみなさんで真剣に議論することです。  自衛隊はあくまでも専守防衛的に日本の国土、日本のみなさんを守る存在でなければなりません。
 その自衛隊を国外に出し、海を越えて山を越えていって戦争をしかける侵略はだめです。米軍やどこの軍隊に援助するとか、後方支援するとか、鉄砲の弾を運ぶというのは違うでしょう。
 安倍さんの考え方は、本音はどうかわかりませんが、やはり今の国会で発議までしたいと思っておられるけど、なかなかそうは許さないですよ。
 今、安倍さんの政権が圧倒的に議席をもっていますが、力をもって押し切るというのは独裁政権の始まりになってしまうので、これはいかがなものかと思いますね。
 チャップリンが「平和の時に人を一人殺せば殺人に、戦争で100人殺して国に帰ったら英雄、これは人間がやることか」と、まさにそのとおりです。
 何年か前に沖縄に行き真っ暗なガマをロープをつたって案内してもらいましたが、住民やひめゆりの部隊が米軍の火炎放射機から逃れて真っ暗なガマのなかで何を思っていたのか、こんな経験は二度と繰り返してはならないと強く感じました。

このページをシェア