【20.10.10】三枝豊明さん(原発なくす会愛知)

福島原発事故――伊勢湾台風の貴重な教訓生かされず

 
 この美しい彼岸花は我が家から最も見やすい善田川の土手を開墾して作りました。長さ40メートル近くになるでしょう。近鉄の車窓からも見え、なかなかなものと自己満足。この土手は、海抜マイナス2メートル、見渡す限りの濃尾平野は、熱田台地を除き海抜ゼロメートル以下です。
 満々とたたえる水は、ポンプアップで汲み上げられ、堤防で海水を遮り、電気とジィーゼルの力を借りて水を汲み上げることで、毎日の生活が成り立っています。
 1959年9月26日、伊勢湾台風の経験は強烈でした。当時私は19歳。信州松本からの出稼ぎで、四日市の塩浜の三重火力発電所に勤務して2年目でした。
 台風の直撃を受けた火力発電所は、海からの潮風で送電線鉄塔が塩まみれとなり、高圧電線と鉄塔がシートし、電気が高圧電線から地表に流れる致命傷を受け発電所が停電する大事故が起きました。
 非常電源が立ち上がって発電所の危機を救うはずでしたが冷却水ポンプが、高潮の浸水で水没、すべての交流電源を失いました。唯一残された緊急用直流モーターは、無事立ち上がりましたが、長時間連続運転したことがなかったので、直流モーター特有のカーボンブラシが故障し発火して、潤滑油が止まってしまいました。潤滑油の切れた巨大なタービン発電機は、軸受けが溶け落ち、高速回転中の蒸気タービン内部と発電機内部で接触破損という前代未聞の大事故に発展しました。
 この大事故を受け、浸水対策としてすべての設備のかさ上げと、塩害対策として真水による噴霧洗浄装置、非常用バックアップ装置の定期的点検の強化、特にジィーゼルエンジンを冷却する系統の独立化など、大工事が行われました。
 福島原発事故以前に、電力産業にとって、発電設備を海水から守ることは、伊勢湾台風の貴重な教訓として認識されていたはずです。 濃尾平野の私たちの生活も、海面以下であることを忘れず、『防災・救助』という、公共の安全の為に、知恵もお金も注意力も注ごうではありませんか。

★三枝豊明さんは 2011年11月号インタビューに「浜岡原発は即刻、停止を!」と語っていただきました。

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