人道に反する日本の入管体制
1968年北海道生まれ。アメリカ政治外交史。戦争と平和の資料館ピースあいち理事。米国銃規制団体Yoshiの会代表。共著書として『グローバリーゼーション国際関係論』(芦書房)、『ナゴヤ・ピース・ストーリーズ ほんとうの平和を地域から』(風媒社)など。
ウィシュマさん殺害事件の衝撃
私は今年3月6日に名古屋入管で発生したウィシュマさん死亡事件に関して、6月3日に名古屋地方検察庁に対し、入管関係者を被告発人とする告発状(罪名「保護責任者遺棄致死傷罪」及び「殺人罪」)を提出し受理されました。
私は事件の発生と、知人の真野明美さんが収容中のウィシュマさんを何度も面会し支援していた事実を3月下旬の中日新聞の記事で知りました。真野さんに早速連絡をとり、事件の詳細を伺うと共に、彼女が準備した49日法要に参列しました。そこでウィシュマさんが真野さんに託した数多くの手紙や絵を見せてもらい、涙しました。生前の彼女がいかに日本語学習に熱心で日本文化に憧れていたかを実感した私は、なぜ彼女が入管施設で命を落とさなければならなかったのか、強い憤りを感じました。これまで数多くの外国人が施設内で亡くなっているのに、関係者の誰一人として責任が問われないというのはどう考えてもおかしい。入管職員の方々には亡くなったウィシュマさんのいのちにしっかりと向き合ってほしい。そんな思いを抱きながら、一人の人間として何ができるのか熟慮した末、今回の告発行為に至りました。
入管体制と向き合った過去
今から10年以上前になりますが、勤務大学の留学生が違法就労で入管当局の摘発をうけ、収容され、退去強制処分の審理対象になった事件に関わったことがあります。まじめに通学し成績も優秀な学生でしたが、家庭の事情でやむを得ず違法就労をせざるをえなかったことがわかりました。私は教員有志と共に学生の救援活動を展開しました。自筆署名を集めて入管に提出し、当時の法務大臣宛に嘆願書を出すなどあらゆる手を尽くした結果、最終的に「放免」という判断を勝ち得ることができました。しかし通知書には、どういう理由で、どういう審理の経緯があってこの判断に至ったのか一切記載されておらず、もやもやが残りました。密室的で示威的な日本の入管体制の現実をこの時、思い知らされたのです。
ウィシュマさんは同居男性から暴力を受けており、本来保護されなければならない女性でした。日本語学校退学によって在留資格を喪失したまま在留継続していたことは確かに違法です。しかしそのことは、適切な医療行為を受けられずに殺されてしまうほどの重犯罪なのでしょうか。昨年、米国で黒人男性のジョージ・フロイトさんが白人警官によって窒息死させられる事件がありました。彼は雑貨店で偽札を使用しようとした疑いで逮捕されました。偽札使用は軽犯罪です。軽犯罪で死刑を受けてしまうのはあまりに公正さを欠きます。米国と日本でなぜこのような理不尽な事件が起きてしまうのか。答えは簡単です。米国の場合は黒人差別、そして日本の場合は、より広範な外国人差別を容認する公的制度が存在するからです。
入管体制の問題点
現在来日中のウィシュマさんの二人の妹さんが、これまで法務大臣、名古屋入管局長、入管庁長官と個別に面会し、ビデオ映像の開示を何度も求めてきましたが、彼らはその要求に対し一貫して拒否の姿勢を貫いています。ウィシュマさんへの明白な虐待行為が記録されている可能性があります。
今回の悲劇の原因として真っ先に指摘されているのが「全件収容主義」と呼ばれる入管行政方針です。東京五輪招致に成功した2013年をきっかけに「治安対策」名目で、非正規滞在の外国人たちが犯罪予備軍として危険視され、根こそぎ収容されるようになりました。その中には難民申請者も数多く含まれています。この収容方針の変化に伴い、当局は収容者の仮放免申請も簡単に認めなくなりました。収容者の9割以上が国外退去に応じていますが、難民申請者を中心に事情があって母国帰還を拒否する外国人は無期限の拘禁状態に置かれ、ウィシュマさんのように命を落とす外国人の事例が毎年のように発生するようになりました。
問題の本質は日本人の外国人差別
マクリーン判決と呼ばれる判例があります。1969年アメリカ人男性ロナルド・マクリーンさんは英語教師としての在留資格(1年間)を得て来日しました。1年後、入管当局に在留資格延長を申請し却下されたことを理由に彼は裁判を起こしました。裁判で明らかになった当局の申請却下理由は「転職」とベトナム反戦運動参加という「政治活動」でした。1978年、最高裁は原告の上告を棄却し、日本国憲法で定められた基本的人権の保障について、外国人の場合は在留資格制度の枠内で考えられるものという限定的な解釈を示しました。このような形で外国人を「二級市民」扱いする在留資格制度の運用にお墨付きが与えられてしまったことが、今日、外国人収容者死亡事件が多発しても有効な再発防止策をとろうとしない当局の姿勢や、仮に裁判に訴えられてもだいじょうぶとたかをくくる当局の認識を維持させる背景要因になっていると思われます。
非人道的な入管体制が温存され続ける根本原因として、日本人一般の外国人差別意識を指摘せざるを得ません。コロナ禍で真っ先に職を失うのは外国人です。彼らは雇用調整の安全弁として都合のいいように扱われてきました。その他にも「外国人お断り」の入居問題、在日朝鮮人へのヘイトスピーチ問題、技能実習生の労働搾取問題、外国にルーツをもつ子どもたちへのいじめ問題など日本社会における外国人差別の実態は枚挙にいとまがありません。こうした実態を日本人一人一人がまず直視し、外国人にも人権があるという感覚を身につけないかぎり、ウィシュマさんの悲劇は繰り返されるのではないか。私はそのように考えています。
Black Lives Matter運動から学んだこと
昨年、ジョージ・フロイドさん殺害事件をきっかけに「黒人の命も大切だ(Black Lives Matter)」を合言葉とする、反人種差別運動の世界的なうねりが巻き起こりました。私も名古屋で開催されたBLM集会に参加し、日本社会の文脈に置き換えてこの問題について改めて考えました。日本は米国のような多様な移民社会ではないため、人種差別といわれてもいまひとつピンとこない日本人が多いです。しかし人種差別も含めた外国人差別の問題として捉え直すと、先ほど申した問題が日本にも沢山存在することに気付いて頂けると思います。
BLM運動はかつての1960年代の黒人公民権運動の遺産を継承しています。指導者の一人であるキング牧師は1967年、人間をモノではなく人間として扱う社会を築くためには、人種差別主義、過剰な物欲主義、軍国主義の3つの価値観を私たち一人一人が克服する行動を起こす必要がある、社会の問題に目を閉ざして沈黙することは人間性への裏切り行為であると演説しました。
今回の私の行動は、これまで自分がアメリカ史から学んできたことの実践でもあります。キングの教えは「平和で公正な社会を築くため、私はこうするが、あなたはどうする?」という普遍的な問いかけなのです。