【17.09.10】今年で28年目、戦跡ウォッチツアー―公的保存、継承が必要

大島良満さん(革新・愛知の会代表世話人)

 
 名古屋の空襲は、地上戦がたたかわれた沖縄、原子爆弾が投下された広島、長崎についで対人口の被災割合は第4番目だということをご存じでしょうか。
 なぜ、このような激しい空襲が行われたのか、名古屋を中心に、愛知県ではゼロ戦を始めとする兵器の一大生産地点で会ったからです。しかし、よく注意をしてみると街角のあちらこちらに空襲の生々しい傷跡がいまも残っています。
 
 私自身3月19日の大空襲で北区杉村町の家を焼かれました。24日の空襲では上飯田で300人近い人が爆撃によって命を落とし、その現場近くに延命地蔵が建てられましたがその横を通って大曽根中へ通学をしたのですが、55歳の時にあの地蔵さんが今でもあるだろうかと思って調べたのが始まりです。
 それを8月15日に日にこだわって戦跡ウオッチツアーを28年前から始めました。
 参加された人は、少ないときで5人、多いときでは50人を超えた年もありました。のべ1,000人には達していると思います。
 
 昭和17年の岸信介による金属回収令、強制的に供出させられた金属製の釣り鐘の代わりに石で造られた釣鐘が全国で一カ所東区の円明寺に残っています。
 また、尾張徳川の6代目の藩主徳川宗春の母堂が寄進をしたことが鐘名に入っていたため寺に戻されましたが、1945年3月24日の空襲爆撃によって穴だらけとなって現在も大切に保存されています。あとJR大曽根駅、南には駅員が防空壕で全滅をした殉職碑があります。まだ他にもあるのですが、戦後72年も経つと多くの知る人が少なくなりました。 
 公的な保存、継承することが必要と思います。
 名古屋市議会でも取り上げようという動きがあるようですが、みなさんもぜひ、声をあげ運動にご参加ください。

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