炊事は私の「役割」
楽しく美味しく食べることは、健康のもとであり、活動のエネルギーでもある。
私は1943年9月に5番目の子として生まれ、食糧の不足している時だったので栄養失調で何度か「しなびていたが生き延びた」と母親は言っていた。これまで10数回、手術のため入退院を繰り返し活動と健康面は不安定であった。
しかしこの10年余、年に330日ぐらい、残りの30日は孫子が来たときのみ、「おばあちゃんの出番」にしてあるが、食事の準備は自分の役割
と自覚して負担に感じずやってきた。可笑しな話だが美味しそうな料理が出ると妻は「箸とおわん」を持ってきて食べるのである。その時だけが私のうちの二人だけの食卓である。
私の得意とするのは味噌汁、漬物、煮物、魚類である。冷凍食品は使わず新鮮な野菜を豊富にして塩分を少なくして野菜中心の食卓に努めている。これらは近くの友人や「農を愛する仲間」が嬉しいことに調達してくれるのである。このような生活は最近、妻の体調が思わしくないのでなおさら良かったと思う日々である。
現在の日本の食糧の自給率、自然と人間社会の破壊につながる原発放射能問題を考えると人々の生きるおおもと、食生活の見直しとそのための国民的努力が求められているのではと痛感している。 私は日中不再戦・平和友好運動を中心に活動しているがそれを支えているのが楽しく美味しく食べることであり呑むことである。