【07.01.05】社会を変えようとする者の言葉

浅井 薫(詩人)

「賽の河原の石積み」という言葉がある。「元の木阿弥」という言葉もある。昨今の政治の動きを見ながら、時々そう思う。そして、詩を四十年以上も書き続けてきて「言葉の無力」を思うこともしばしばである。

 「平和は唱えているだけでは守れない」と言ったのは小泉前首相であるが、ともするとこの言葉に同調しそうになる。そんな時「いま一番危険なのは、われわれ自身が絶望をすることじゃないでしょうか」〈辻井喬・『しんぶん赤旗』06年12月9日〉という言葉が、なんと新鮮に力強く聞こえることか。

 社会を変えようと考えているわたしたちは、鋳型に嵌(はま)った表現や弛んだゴムひものような言葉にはきびしい態度をとりながら、自分の認識と感性を大切にした言葉で表現することが求められている。なぜならば、オリジナルな言葉とは、すなわち新しい発見〈認識〉に基づく、自己変革を伴ったものだから必ず他者を感動させる。
 
 その力を付け、鍛えることなしに「平和は唱えているだけでは守れない」との開き直りを、うち破ることはできない。

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