青年たちと
『民主文学』四月号に雨宮処凛を囲んでの「現代の労働と文学を考える」と題する座談会がある。そこで語られるプレカリアートと呼ばれる青年の貧困ぶりは、多喜二の『蟹工船』が今にリアリティをもち、プロレタリア文学を自分たちの実態と受け止める凄まじさだ。
多くの自殺した青年たち。その死を悼みながら、自殺しなければ餓死した、青年は餓死する前に自殺するのだと言う。疲れて親元に帰れば、励ますつもりで責めてしまう親。こじれて、精神的に追いつめられたり、家庭内暴力に走ったり。
そうした中、これは自己責任ではない、社会をこそ変えようと青年たちが動き出している。アピールの形として、サウンドデモや漫画、ビデオなどに「表現」が生まれ、一種の文化運動の様相も呈しているようだ。
差別と偏見の底辺の呻きの中から青年たちが生み出しつつあるものを、大人の側も心を開いて受け止めなければならないと思う。