【16.04.10】猪瀬俊雄さん――集団的自衛権の本質は他国防衛権―主権者として声をあげるとき

 
猪瀬 俊雄さん

1936年会津若松生まれ。早稲田大学卒業。1963年裁判官任官。恵庭事件担当。1997年まで札幌、横浜、山口、名古屋、福井などの各裁判所の地裁、家裁、高裁に勤務。1980年川内原発訴訟、1989年もんじゅ訴訟担当。カトリック教会所属。

恵庭事件を担当して

 私が裁判官として赴任し最初に担当した事件が恵庭事件です。自衛隊の砲撃演習場の大砲で、乳牛の乳が出なくなることを恐れた飼育者が演習場に入り込んで通信回線を切断しました。検察官が、通信回線は自衛隊法第121条「その他の防衛の用に供する物」に該当するとして防衛器物の損害で起訴した刑事事件です。自衛隊法が日本国憲法に照らして合憲か違憲がこの裁判の最大のテーマです。
 統治行為論、つまり非常に政治性が高くて一国のおおきな政治的方針にもとづかなければならないという問題については、裁判所はいきなり判断していいのかという問題です。判決では通信回線は「その他の防衛の用に供する物」に該当しないとして、無罪判決をだしました。
 いまでも、影響として残っているのは憲法に抵触するような部分は無効として、限定的に生かせるものならその範囲で生かす。そんな解釈原理が生きているようです。

参議院決議の不存在

 安保法制は、矛盾だらけです。「会議録は速記法によって、すべての議場を記載しなければならない」というのが参議院規則156条です。ところが「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」との記載のみでした。 その後公表された会議録には、いつの間にか両案の質疑を終了したあといずれも可決すべきものとして決定した、と誰の記載か不明な記載が付け加えられています。
 裁判所は書記官の権限において法廷で記録を取ります。法廷は審議の手続きについては記録によってすべて決められる。法廷の一種の証拠法則です。速記録は一番有力な証拠です。報道のビデオなどからも不成立と見るべきと考えています。

安保法制の問題点

 自衛権について政府解釈は1954年の自衛隊創設以来、急迫不正の侵略があった場合、他に適当な手段がない時は、必要最小限度での個別的自衛権が許されるとしてきています。しかし、2014年7月1日の閣議決定で、わが国が武力攻撃を受けた場合のみならず日本と親しい外国が武力攻撃されたとき、これにより国の存立を危うくするとして集団的自衛権行使はできるとしてしまいました。存立というのは存在できるかどうかということです。
 それはどんな場合が考えられるでしょうか。日本が武力攻撃をうけたとき以外にはないでしょう。国際政治の専門学者は、「たった一つあるとすれば日本が属国的になった場合」と。なるほどと思いました。
 安倍首相は、「積極的平和主義」という言葉をよく使います。この言葉を提唱したノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士は平和学を確立した学者です。戦争のない状態を「消極的平和」、それにプラスして社会的な暴力、格差がない、差別を受けない状態を「積極的平和主義」との定義です。安倍の言う「積極的平和主義」は、敵をなぎ倒せば平和であるというです。論理矛盾があってものして通ろうとする姿勢を貫こうとするだけです。だから怖いんです。腰を据えて対抗することが大事なのだと思います。
 周辺事態法の「周辺事態」を「重要影響事態」と地域限定の要件を削除し、極論すれば世界のどこででも自衛隊は米軍の後方支援をする事になるおそれがあります。それは戦闘そのものに関わるということです。そうなったら、どうなるのか、当然、相手は敵ということですから、巻き込まれます。しかも、後方支援自体、米軍の軍事行動と一体化した軍事行動と見なされるのが国際評価です。
 恵庭事件でさかんに議論されたことは戦争の「無限定性」です。備える武力もどこまで紛争が発展するかも限界がなくなります。自衛官の武器使用規定は、武力の行使と区別された自己保存型であり、正当防衛権に該当する場合を除き人に危害を加えてはならないものですが「重要影響事態法」は、大幅な緩和を盛り込みました。仲間の防御も武器使用を許す、上官の命令で武器使用を許すとなると正当防衛というよりむしろ戦闘行為の色彩を浴びるでしょう。

安保法制訴訟

 参議院での審議の頃から裁判官のOBたちが黙っていていいのか、何かしなければと相談し、参議院議長宛てに意見書を提出しました。その行動の中から司法のチェックを求める「安保法制違憲訴訟の会」を立ち上げ、弁護士の伊藤真さんら9人が呼びかけ人になり4月20日には提訴に向けた集会が予定されています。日本国民誰でも原告になってくださいと呼びかけています。

主権者として発言

 「立憲主義の回復、安保法制の廃止を求める春日井ネット」の呼びかけ人になりました。いろんなところの勉強会で話をしていたら、声がかかり、少しでもやれるのならとの思いからいつの間にかはまり込んでしまいました(笑)。かねがね市民連合が候補者を絞るしかないと思って主張していたので、SELDs、学者の会などみなさんの声に、まさに、我が意を得たりと思いました。人間が人間らしく生きるためには基本的人権が守られていなければなりません。そこに基本的人権の根拠があるのです。
 国その他の組織は実体である国民、主権者のための仕組み、道具です。国の行動を監視するのは国民です。公務員を選ぶ権利も排除するのも国民です。それを忘れてもらっては困ります。
 私は、カトリック信者ですが憲法の原則はカトリックの思想と重なり合っています。人間の尊厳に立脚して地域の活動に取り組んでいきたいと思っています。

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