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【20.08.10】武田宏子さん(名古屋大学大学院教授)―経済優先社会から人々が生きやすい社会へ―差別

差別・ジェンダー、コロナ禍で見えたもの 「せめぎあい」の中で

  武田宏子さん

政治社会学、ジェンダー研究 名古屋大学大学院法学研究科 教授
イギリスカーディフ大学、シェフィード大学、東京大学で教鞭をとられた。
著書 The Routledge Handbook of Contemporary Japan (近刊、共編著)

日本にある人種差別

 私自身がイギリスの市民権を持つ中長期滞在者です。13年間イギリスに居住して、働き、生活基盤があったので市民権を取りました。そういう立場もあって、日本では「日本人」か「非・日本人」かの差異が日常生活を営む上でも残酷に表れていると実感します。
 新型コロナの感染拡大をうけて、4月3日から渡航制限が厳しくなりました。それ以前に出国していた中長期滞在者でもいまだに日本に帰国できていない人がたくさんいます。名古屋大学の私の授業でも英語コース一年生9人中、4人が大学に戻れていない。日本で働き、家族を持ち、生活基盤がある方々や、学生のようにビザを持っている方々が、「外国人」という理由で、日本に戻ってこられないのは感染拡大防止といっても割り切れません
 日本に居住する外国人労働者の方々も渡航制限の大きな影響を受けています。近年、日本は経済の要請によって、多くの外国人労働者の受け入れを奨励してきました。特に、日系人が多いという理由でブラジルなどの国から積極的に受けれてきました。感染拡大の事態を受けて、こうした外国人労働者の中には失業の危機にある方や、家族とずっと会えていないという方がいる。これが、日本国内で「日本人」に起きたことなら、もっと批判が起きるはずなのに、と憤りを感じます。これは、やはり日本にある人種差別の問題です。

根底にある日本の国家観

 アメリカやイギリス、オーストラリアのような国では血統や民族上の出自と国籍(市民権)を得ることは切り離されています。対して日本国籍は「親が日本人であるかどうか」が決定的で、民族的集団に密接に結びつけられている。日本民族で日本語を話す人が「日本人」という考え方が強固ですが、実は戦前、植民地支配をしていた日本帝国は多民族国家だったのです。「八紘一宇」という言葉はその証拠です。それが戦後、一つの民族、一つの言語の国という風に日本という国に対する理解が変わってきた。最近は「日本人はすごい」という神話のような話が繰り返し語られています。実際の生活は外国人なしでは回らないのに、外国人は不協和音として排除する。そうではない国家の在り方が問われています。

コロナ危機をどう考えるか

 「危機」とはこれまでのやり方が通用しない状態。通常のやり方でなんとなく収まってきて、それで「危機」が起こるまで隠されていた問題が可視化され、実は問題が山積であったという事に気がついたというわけです。でも、問題が認知されたからこそ、現在が具体的な提案や改善策を言いやすくなっています。コロナ禍によって可視化された問題である満員の通勤電車、長時間労働、DV問題やジェンダー不平等など、より多くの人々が生活しやすい社会にするためにはこうした問題にどのように取り組むべきであるのか考えるきっかけになったのではないでしょうか。

いま、せめぎあいの時

 コロナ禍の状況で、人間が生活するために必要なもの、水、住居、医療などを競争的な経済活動の一環にしていていいのかが見直されています。例えば、イギリスでは、長年ホームレスが問題となっていました。しかしコロナ禍で感染リスクが高いという事で国・自治体が一時的にホームレスの人々に住居を与えたのです。「やればできるじゃん!(笑)」と思いました。生活に必要なものを商品化することで経済活動は活発になるかもしれないが、人々の生存を脅かすことにつながる。「それでいいのか」という揺り戻しの議論が起きています。

近くの人と話し始める

 見過ごしてきたこと、意識してこなかったことに気づいたことが出発点です。こうした問題をこれからどうしていくのか、どういう風に変えたいかと近くの人と話しはじめること、学校や地域などコミュニティーの中で話して、誰かが決めるのでない、多くの人々と共有する共通理解を一緒につくっていくことが必要です。単に情報発信ではなく、話し合う。広い共通理解をつくり、これをもって政治家・自治体などに要望していく。草の根からの提案は受け入れられないこともあるし、失敗することもあるが、そういう体験を積み重ねていくことが、上からではない政治参加につながるのではないでしょうか。
 

より多くの人の生きやすい社会をめざして

 その上で重要な分岐点であるのが、自分と自分の家族だけよければいいのか、隣人や周りの人も含めて考えるか、です。「自分だけ」というのは国に置き換えると自国優先主義につながる。外国人来てほしくない、ではなく外国人も居住している社会全体を考えて対策をとる。そうすることでお互いに配慮をしながら、より多くの人が生活しやすいよう社会をつくっていくことができます。

家族で政治を『やってみる』

 家族の問題は政治の外に位置づけられがちですが、私は本来、非常に政治的な領域であると議論してきています。歴史的に政治も経済も家族に介入しています。特に、日本では戦前は男性に対しては「良き兵士」、戦後は「良き労働者」、女性に対しては一貫して「良妻賢母」で、現在は働くことも求めている。こうした政策から見えてくるのは社会に存在する人々に対して国が一定のクオリティーを求めていることです。家族で民主主義を考える、練習するという考えが必要です。同時に家族は政治を「やってみる」場にもなります。家族内で民主主義について考える、そして民主主義の政治の練習をする。このように家族から政治について考えていくことは政治参加につながります。低投票に代表されるように、政治参加が低調といわれていますが、これが変わっていくきっかけになるのではないでしょうか。 生きにくい日本社会の中で政治にインプットする機会を増やすことで、経済活動優先の政治から多くの人々が生きやすい社会を目指す政治へと変化する可能性が見えてくるかもしれません。

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