【07.08.05】七夕の日に平和を祈る 岸野俊彦さん

 
安倍内閣の「戦後レジュームからの脱却」とは、歴史学者の岸野俊彦さんから、投稿を寄せていただきました。

岸野 俊彦
    名古屋芸術大学教授・歴史学 
    江南・革新の会世話人

平和が文化・芸術を育てる

私の勤務する大学の玄関ロビーには、毎年七夕の日には葉竹をたてる。今年の七夕は、2007年7月7日ということで7が3つ並び、学生たちは、とりわけ短冊に思いを込めた願い事を書き結んでいる。恋愛や家族の健康や学業の他、平和を祈り願うものも多くみられる。5月には、教員と学生が、学内のギャラリーで平和をテーマにした美術展をおこない、同会場で音楽教員の演奏とトークで平和を願った。当日は、日本人学生・教職員のほかに中国や韓国、イギリスやフランス等の留学生も多く参加し盛況であった。
 日本の歴史において、第二次大戦後61年間の平和の時代は、江戸時代に次ぐものである。江戸時代は、応仁の乱以来続いた戦争の時代に終止符をうち、約260年という長期間、戦争が無いという、特異な平和の時代であった。
 最近、名古屋で伊藤若冲展や葛飾北斎展が開催された。江戸時代は鎖国とはいえ、長崎を窓口に多くの中国人学者や画家や、多くの西洋文化が日本に流入した。北斎の浮世絵も、西洋画を吸収の上に展開したもので、封建社会の制約の中でも、平和な時代が独自の文化を育てたといえる。

「戦後レジューム」は、守るべき平和の時代

 明治維新後、現在まで139年である。このうち、天皇制国家が敗北する1945年8月15日を境に前半78年間は、日清戦争から、第二次大戦へと、度重なる戦争の時代であった。大日本帝国は、戦争を通じて朝鮮、台湾を植民地にし、中国東北部に武力による傀儡国家の満州国建国、さらに中国から東南アジアへと侵略戦争を進めた時代である。 1945年8月15日は、単なる「終戦」ではなく天皇制国家の「敗戦」であり、朝鮮や台湾や中国にとっては、植民地からの「解放」「独立」記念の日である。日本国憲法の平和主義、国民主権、基本的人権の尊重という三原則は、天皇制国家の「敗戦」による、侵略主義への深い反省と、何千万人という尊い命の代償によって確立されたものであると思う。
 戦後の61年間の平和は、戦前の天皇制軍国主義国家との決別の結果であったはずである。そして、同じ平和な時代といえ江戸時代と違う、国民主権、基本的人権の尊重という、より豊かで高度な社会へと向かうはずの歴史過程でもあった。 現在、安倍晋三内閣は、この過程を「戦後レジュームからの脱却」と否定し、侵略戦争と植民地支配の時代を美化し、憲法九条を変え、対米従属のもとで、「下請的」な戦争のできる国にしようとしている。

盧溝橋事件70年、歴史を直視し草の根の力で平和を

今年の2007年7月7日は、中国への全面侵略戦争の発端となった1937年7月7日の廬溝橋事件から数えて70年の節目である。たまたま朝、私が取っている新聞『朝日新聞』と『中日新聞』を見たら、いずれの社説も「廬溝橋事件70年、もう一歩、踏み出す勇気を」(朝日)「『廬溝橋』70年、『歴史』のとげ克服を」(中日)と廬溝橋事件を取り上げ、若干の論調の違いはあるが、両国の歴史共同研究で冷静に「歴史と向き合う」ことが必要と主張している。
 安倍内閣の中軸「靖国」派の歴史わい曲は、国内でも、世界でも孤立することになると思う。また、私の大学のアジアの留学生を含めた学生の平和の祈りは、草の根から江戸時代を越える長期の平和の時代を生みだす力となるであろう。

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