そもそも原発は大丈夫なのか
革新・愛知の会の代表世話人会が、あの東日本大震災(3月11日)の直後である3月23日(水)に開かれた。そこでは、目下進行中の地方議会議員選挙の問題と、有史以来の規模の災害をもたらした、この度の大震災が主要な話題となった。
その折に話題提供を兼ねて、これまで3ヶ月に1回のペースで、会場に中川診療所を借りて、開催してきた『ユニーク塾』の例会(1月22日)で、筆者が原子力問題について話してきた、「レジュメの要約」をみなさんにも配布して、それについての手短な解説をし、議論の参考に供した。
その帰りがけ、当会報の編集子から、次号にその「レジュメの要約」の“概要”を紹介してほしい旨の依頼があり、『コピペ』でよければ、ということで引き受けた。従って、以下の資料では、まだ起こっていなかった福島原発暴走には、当然のことながら、全く言及していない。
この小考では
(1)そもそも原発は大丈夫なのか、という根源的な問題
(2)この国ではどうやってその安全性を担保しようとしているのか
といった制度上の問題に限って論じている。
〔以下は第5回『ユニーク塾』 (2011年1月22日)のレジュメから抜粋したもの である。]
原発は完成された技術といえるのだろうか。
リリエンソールの『述懐』より「・・・原子力発電の技術体系全体が、いまだ研究・実験段階であり、すべての原発は、不完全な“欠陥商品”だと云わねばならない。さらに原発から発生する膨大な量の放射性廃棄物の貯蔵・処理技術や、使用済み核燃料の再処理技術もまた“未完成技術”に過ぎない。・・・中略・・・近年、私は次のようなことを自問することが、しばしばである。『我々アメリカ人には、複雑で、未完成で、基本的に不安全な原子力システムを、技術レベルが我々よりもはるかに低い国(当時の日本を指す)に推奨し、売りつける“道徳上の”権利があるのだろうか』と・・・」。
[ アメリカ初代原子力委員長(1946-1950):リリエンソール(1899-1981) ](筆者註:半世紀以上前になされたこのリリエンソールの良心的な『述懐』は、現状のグローバルな原子力問題にそのまま当てはまる!!)
[ 原子力行政に「自主・民主・公開」の三原則は貫かれているのか。]
この国では、原発の推進(許認可)と安全性チェックが独立した機関でなされているのか。
核拡散防止と原子力の「平和利用」促進の国際機関であるということになっている、IAEA(国際原子力機関)の「原子力発電の安全に関する条約(日本も1994年に調印・批准)」)でさえ、『推進機関』と『規制機関』を分離することを義務付けている。原発を保有する欧米諸国では、最低限この原則は守らされているようだが、日本では原発を規制・監督する原子力安全・保安院が経済産業省の直轄機関であり、原発の『推進機関』である経済産業省と分離独立した関係にない。
また、もともとあった原子力安全委員会は内閣府の外局で、原子力基本法・「原子力委員会及び原子力安全委員会設置法」・内閣府設置法によって設けられていて、形式的には「自主・民主・公開」の原則のもとで、国会の同意を得て内閣総理大臣が任命する委員長・委員で構成されているが、有名無実に近い実態となっている。
従って、この国には独立した『規制機関』はどこにも存在していないのが実情である。(これは、上記の批准国として、重大な条約違反でもある。!!)]
[補足]:因みに、2010年度では、御用機関に近い原子力安全・保安院に約370億円の予算が付いている一方、機能が有名無実に近い扱いをしている原子力安全委員会には、約7億円しか予算を付けていない。
その他の諸問題(内、地震問題についてのみ再録)
地震国である我が国で稼働している、54基もの原発に対する地震対策は十分であろうか。
註:主要な原発建設地での1970-2000におけるマグニチュード5以上の地震発生回数 [ アメリカ:322回、フランス:2回、イギリス:0回、ドイツ:2回、日本:3,954回 ]( 国際地震センターカタログおよび気象庁「地震年報」より)
追記:終熄の兆しさえ見えず、目下暴走を続けている福島第一原発のうち1号炉と2号炉はいずれも、リリエンソールが『述懐』したアメリカ製の炉そのものであり、それぞれ40年、36年が経過した、いわく付きの超高齢原発であることを、見過ごしてはならない。