【11.08.29】「浜岡原発は廃炉に」7.23集会に5000人-瑞穂区革新懇ニュース発行

「浜岡原発は廃炉に!」<7.23集会に5000人!>

林克・静岡県評議長をはじめ、静大名誉教授、弁護士、医師、宗教者ら6氏の呼びかけで開催された「浜岡原発の永久停止・廃炉を求める静岡県大集会」は大成功。愛知からも1,000人超がバスなどに分乗して参加しました。中堀さんと森下さんの感想を紹介します。

○鮮やかな緑の茶畑も汚染?
静岡市で開かれた「7.23ひまわり集会」に参加しました。瑞穂区・南区・港区合同のバスツアーです。参加者の方たちは一人ひとり平和運動や市民活動をしてみえて、「原発を止めたい」という共通の思いでの参加だったと思います。会場の駿府公園は人でいっぱい。全体の参加は5,000人を超えていました。
道中、静岡茶の鮮やかな緑の畑に目を奪われました。しかしこのお茶の中にも放射能に汚染され処分に困るただのゴミになってしまったものもあるんだと思うと、丹念に手入れされているから余計に悲しい気分になりました。フクシマの原発事故の影響はただ判明していないだけで、私たちの想像を遥かに超える汚染が広がっているのだと思います。
 「まともに考えたら誰もが止めた方が良いと思う原子力発電も、黙っていたらその人の意見は容認しているとみなされる。原発は反対の意見を持っていても声を上げなければ、それも強く主張しなければ原発を止めたいという意見とみなされない」と発言の中にありました。本当にそうだと思いました。
 ドイツだって、政府はもともと、原子力推進派だった。しかし政策転換しないと選挙に勝てないと思い直したらしい。ドイツのエネルギー政策を変えたのは世論だったのですね。声を上げていかなければと改めて思いました。

○印象に残った湖西市長の挨拶
7月23日、「浜岡原発永久停止・廃炉を求める静岡県大集会」に参加しました。私の乗ったバス(南地区委員会)は49名、現地に着いたらたくさんの愛知の旗が。愛労連傘下の旗も多く、愛知からは1,000人以上の参加でした。集会全体は5,000人以上の大盛況で、ひまわりの波があちこちに揺れていました。
私は7月初め、浜岡原発廃止の署名行動に参加しました。新瑞橋上でしたが1時間に集まったのは9筆。ショックでした。新聞では6~7割が原発に反対と書かれています。「待ってました」とばかり署名していただけると勇んで出かけたのに。
 7.23集会では三上湖西市長の挨拶が印象に残りました。――市長は10年前から原発に反対。「今年4月の静岡県市長会では同調者はゼロ、今では大勢の賛同者がいます。黙っていたら原発賛同者と見なされる。原発の恐ろしさを周囲に語り声を上げて行きましょう、原発反対を叫びましょう」と。
 静岡の集会に元気をもらいました。新瑞橋での署名のショックにめげず、日増しに募る原発の恐ろしさを周りの人に話し、脱原発、浜岡は廃炉にと声を上げていきたいと思っています。

革新・愛知の会の「6.25原発シンポ」に参加して

6月25日に名古屋YWCAで行なわれた県革新懇(=「革新・愛知の会」)の緊急シンポ:「東日本大震災から何を学ぶか――原発は? いのち・くらしを守るためには」に参加しました。

4人のパネラーのお話を伺いましたが、そのうちの一人、原発問題愛知県連絡センター代表委員の三枝豊明氏は、自ら用意した資料をもとに原子力発電所の危険な実態とこれを推進してきた国と電力業界の実情について詳しく述べられました。とくに原発を推進するために莫大な予算が計上されて、地域だけにとどまらずマスコミや学者まで取り込まれていることには改めて驚かされました。

新潟大学名誉教授の立石雅昭氏は地震学の立場から、環太平洋地域ではマグニチュード9の地震が続けて起こっているにもかかわらず、国の想定は甘すぎる、特に浜岡は西日本全体を巻き込む超巨大地震が発生すると予想されている所であり、ここに原発など考えられないと述べられました。
名古屋大学名誉教授の柘植新氏は、原発建設の歴史を述べられ、もともとアメリカから原子力技術の低い日本に押し付けられたものであって、その安全性にははじめから疑問があったことから、今回の原発事故は人災であると断言されました。
参議院議員の井上哲士氏は、原発事故は他の事故と全く異なる危険性を持っており、今の技術では防ぐことが出来ないものである、早急に自然エネルギーに転換すべきであると強調されました。

集まった約100人の参加者からの質問もありましたが、それぞれ改めて原発の危険性と事故が起こった時の恐ろしさ、また、これを推進してきた原子力行政の無責任さに怒りを噛みしめました。
時宜にかなった有意義なシンポジウムであったと思いました。

東海大地震と瑞穂区――我が家は大丈夫か?

6月14日、瑞穂革新懇が開催した「市政報告会」(名ブロ会議室)に参加しました。

山口きよあき日本共産党市議の報告に、減税ありきで市民生活切り捨ての河村市政に強い怒りを覚えると同時に、保育料の値上げストップの朗報には、やはり運動が大事と改めて思いました。
また震災関連の報告のなかで、3月11日の東日本大震災時に名古屋港に津波警報が出されていたにも関わらず、防潮堤の水門の閉鎖が十分に対応できていなかったことや夜間には常駐体制がないことなどの話にはあきれるやら、驚くやら…。改めて東海大地震が間近といわれるなか、名古屋市の防災対策について、今後の行政の対応や市民として何を要求すべきなのか考えさせられる機会となりました。
それとあわせて、私たちの住む地域の防災計画にもっときめ細かな対応が必ではないのかと思いました。

名古屋市は避難場所を区ごとに指定していますが、避難場所の耐震は大丈夫か、瑞穂区も液状化の地域が多いと聞きますが、避難場所が液状化で倒壊したり、傾いたりして避難場所としての機能が果たせるのか。また津波が、堀川を北上してきた場合、高層の市営住宅や公団が避難場所として安全かどうか・・など、行政の出している「避難マップ」と併せて、私たち住民が検討し、行政に要求していくことも今後の課題かなと思いました。

見た・感じた・考えた「平和と人道の旅」(6/18)

◆「高橋さんの知識はすごい!」
6月18日。梅雨空の下、西区在住平和委員会理事の荒川さん運転のレンタカーは、18人を乗せて、新瑞から瑞浪めざしてひた走る。今日のガイド高橋信さんは汐路中出身。市民病院のこと・30円ラーメンのこと・B29墜落現場・市電の終点だった八事の話・千種の高射砲陣地のこと等々、豊かな知識に裏打ちされた巧みな話術に、知らず知らず高橋ワールドに引き込まれていました。

◆初めて知ることばっかりで
旅の終わりに一言感想を出し合った時、井坂さんが、「不勉強で聞いたことも良く覚えていない私が、高橋先生のようにしっかり勉強された知識を簡単に教えていただいていいものかと思う。」と言われました。戦時中に、朝鮮人や中国人を中心とする強制労働によって、日本全国に作られた地下軍事施設についての資料など、たくさんの資料をいただきました。知らないことばかりで、不勉強が恥ずかしいのですが、今回のような催しに参加して、自分の目で見、肌で感じることが、学ぶことにつながっていくと思います。

◆8Kmにも及ぶ地下軍需工場
名古屋から北東32キロ可児市久々利、田植えが終わったばかりの田にはオタマジャクシがいて、一面緑ののどかな田園風景がひろがるばかり。太平洋戦争末期1944年12月、何の変哲もない山の下にエンジン製作のため、8Kmにも及ぶ三菱第四製作所久々利地下軍需工場が、朝鮮人の強制労働によって作られました。日本人でなかったのは、労働の過酷さがわかっていたからでしょう。
破れた長靴の底から浸みこむ泥水に閉口しながら、真っ暗な地下壕を、懐中電灯の明かりを頼りに進むなか、発破をかけ、ツルハシで一振り一振り土を掘り崩して、縦にも横にも連なる長い長いトンネルを作った多くの人々の働く姿を想像しました。6月の今でさえ太陽が仰ぎたくなるのに、寒い冬はどんなだったろう、自分には一日とて耐えられない。まるで奴隷の労働。一回きりの人生を踏みにじられた方々の無念さ、切なさが伝わってくるようでした。

◆15歳の名も刻まれた中国人殉難者慰霊塔
4つ目に見学した、各務原市おがせの薬王院裏山に建つ中国人殉難者慰霊塔は、各務原飛行場の誘導路工事で亡くなった26名の中国人の方の慰霊碑です。ほとんどの方が戦後亡くなったことや、15歳、18歳の方もいらっしゃったという事実に言葉を失いました。

◆ユダヤ6000人の命を救った杉原ビザ
杉原千畝記念館では、日本を通ってアメリカに渡り、幸せな人生を送ったユダヤ人の感謝の言葉が胸にしみました。

◆飛行機を隠す掩体壕の巨大さに驚き
民家を通り抜けた先にある掩体壕跡では、「うわあー、おおきいー」と口々に言っていました。「見ることは知ること」を実感できた「平和と人道の旅」でした。

多忙な高橋さんですが、声をかけていただければ嬉しい、都合がつけばいつでも案内すると言ってくださいました。内容の濃い貴重な戦争遺跡見学に、皆様、是非一度お出かけ下さい。

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