被爆医師肥田さんの講演会、開かれる
5月19日に『ヒロシマの「あの日」から「これから」を語る』と題した講演会が、日本被団協理事長であり被爆医師でもある肥田舜太郎さんを講師に開かれました。
「生きる医師を持ち、健康に生きる気になること」を昨年の原発事故以降各地で訴えている肥田さんは、原爆投下直後の広島ではじめた治療活動について紹介。8月8日まではヤケドが多かったが、9日を過ぎて40度の高熱や鼻などから出血、口内のエソ、紫色の斑点、脱毛など体験したことのない症状を目にし、これは急性放射能によるものであることを知ったのは7年後。さらに「私はピカドンにあっていない」という方が死亡する事態に遭遇。「当時はこれを入市被曝と呼んでいたが、30年後に内部被曝で説明できると分かった」と語りました。
低線量被ばくでも危険なことは「原発周辺の発がん率の高い米国の例で明らか」。生物は自然放射能を成長過程でつくってきた免疫によって克服してきたが、原発からでる人口放射能は生物にとって初めてのものだから危険。免疫は昼に活動し夜は寝る生命の営みのなかでつくられたものだから、そうしたそうした生活を維持することで免疫を強くすることは可能。「自分の命を真剣に考え、責任を持つ生活に変えていくこと」を強調しました。
「生きている間に全ての原発を止め、核兵器をなくすことができなければ、子どもに対して申し訳ない。子どものために日本をきれいにする義務がある」。「被ばくの反応には個々に違いがあり、他人と自分は別の問題とみなければならない」など、被爆者として、また医師としての思いを訴えかけました。
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