【06.10.05】多田 元さん[弁護士]

いま教育現場に必要なことは・・子どもの参加と「支える」こと

 
子どものパートナーとして温かく子どもたちを見守り続けておられる多田元・弁護士の事務所を訪問、お話を伺いました。

多田 元(はじめ)さん 弁護士/1944年生まれ/愛知県弁護士会子どもの権利特別委員会委員長、全国不登校新聞社代表理事、子どもセンターパオ代表理事(NPO法人申請中)、南山大学法科大学院教授

減っている少年犯罪!

国会では、14歳未満の触法少年についても司法の場で裁く少年法を厳罰化の方向に、それと平行して教育基本法の「改正」もすすめられようとしています。

凶悪な少年事件は大幅に減っています。増えているように思わされるのは少年を焦点に報道の量が膨大になっているからです。一九六〇年、六一年当時、17歳の殺人事件が次々おこり「恐るべき17歳」とマスコミで流されました。一九六一年に家庭裁判所に殺人事件でおくられた少年の数は三九六人です。殺人事件は平成16年61件、平成15年58件と少年事件全体としても、子どもの人口あたりの非行率も大幅に減っています。

事件を起こした子どもが特異なのではない

私は、二〇〇二年、岡崎で当時17歳の高校生が帰宅途中の19歳の女子大生を無惨にも殺害してしまった事件の国選弁護人です。小・中・高校と一日も休まず、問題行動もなく、まじめでおとなしい子だと見られていました。小学校5年生の時、大便を漏らしたことからいじめを受けるようになり、それ以来お腹が痛くならないように百草丸を飲む。それほど身を固くし仮面をかぶって学校に行かざるをえなかった。誰とも会話をしないで一日過ごす子どもがいることがその教室で不思議でなかったという現実です。「生きている価値がない」と何度かリストカット、その気持ちを周囲の誰にも気づいてもらえない。事件前には、成績と経済状態で大学進学をあきらめ就職を選択することをせまられ、「自分を変えなければ」と焦り、これまで抑圧してきた感情に突き動かされ、自分が今までできなかったことをやってみたいとそれが殺人に繋がってしまったのです。

そのときの気持ち、心の中のことは全く語れず感情や気持ちを表現する言葉を持たなくなってしまったのです。これは、いまの子どもたちの様子を極端な形で象徴している様な感じがします。

親に心配かけないように自分を完全に押し殺していました。大人が考える悪いことをしない、よい子の、「普通の子」、悩んで問題を抱え事件を起こした子どもも「普通の子」なのです。いまの子どもたちも大なり小なり同じ問題をかかえています。事件を起こした彼だけが特異ではありません。そこに気づいてもらいたいと思います。

指導、教育の過剰さが子どもを追い詰めている

いま学校は、一定の成績、評価を求め、子どもがどんな気持ちで何を悩んでいるのか、ありのままの自分をだせる環境にはありません。 

不登校の子どもたちとかかわっていますが、学校から距離をとり家庭でゆったりと過ごし、ありのまま認めるように親がなったとき子どもは自己肯定感を回復します。点数を付けられる絵は描けなかったけど本当は絵が好きだったという子がいましたが、不登校で自己肯定感を取り戻す子どもに大勢であいます。

筑波大学で小学校高学年3千人の調査(平成16年)、10人に一人が抑鬱傾向です。同年の「日本子ども社会学会」調査(小学校5・6年生対象)で「自分が好きではない」は女子44%、男子33%、「明日もきっといいことがあると思うか」の問いに肯定的な答えは女男とも3割です。いずれの調査も学校に通う子どもです。わずか10歳、11歳の子どもたちが将来に希望を失っています。

大人の価値観での指導、教育の過剰さが子どもたちを追い詰めているのではないか。いま子どもたちに必要なのは「支え」です。「あなたはあなたでいいよ」「つらいね、寂しいんだね」と分かってもらえることではないかと思います。支えるという視点を教育現場が取り戻すことが一番重要な事ではないかと思います。

本当の子どもの参加が学校現場に必要

教育基本法「改正」案は、国が5項目の教育目標を定めそれにそって態度を養うといっています。本当に大切にする気持ちよりも「愛国心」をもっているという態度をつくることが目標です。態度は、自分の中のものを形として外に表すという言葉の意味です。形から入る教育はすでに長い間、学校現場で行われてきました。

いま、本当の意味の子どもの参加が教育現場に必要ではないでしょうか。大人と子どもが共同で決定し、共同で行動して共同でその結果を引き受ける、そうした子どもの参加が学校の中でどれだけ実現できるのかです。大人はすぐに「将来のため、いまこうしなさい」と。確かに助言は必要ですが、一方通行ではなく、子どもの気持ちを聞く、意見を聞く、子どもは新しいことを知っていますから。

教育基本法問題でも、子どもたちの視点で一緒に考えていけば問題点ははっきりするし。そうすれば教育基本法も自然に元に戻ると、わたしは気楽に考えています。(笑) なかなか学校の内容が変わらない時は子どもたちは学校から離れ、不登校をオススメします。文科省も学校の多様化を言い始め、学校以外にもフリースペースやフリースクールや家庭をベースにして育っていくホームエデュケーションなど(ニュージーランドなど外国では既に公認)多様な子どもの学ぶ選択肢を市民の力でつくっていくのです。現実に一九七〇年代の半ばから増え続ける不登校は「この学校ではとてもやっていけません」と子どもたちが先取りしているわけです。学校から離れた人たちが百万人をはるかに超え、日本の不登校の大きな実績になっています。

NPO法人「子どもセンターパオ」をいよいよ立ち上げます。虐待、傷ついて居場所を見失い不安な子どもに体と心をゆっくり回復して安心してから考えればいいよと大人がパートナーとなってお付き合いする子どものシェルターです。来年の春には発足します。 安心と自己肯定感があって初めて心が自由になり、自分のやりたいことや進みたい方向を選択できるようになると思います。

その子にとって、たった一人であっても自分を抱いてくれた先生がいるだけで、一生その子のなかに残っていくと思います。親や先生たちだって、百%のことがその子のためにできるわけではありません。「子どもセンターパオ」もそうです。いずれは、社会に出て子どもたちの力で生きていくわけです。ほんの一瞬でも思いを込めて、大人が手を握ってやったり、抱きしめてやったり、その人の中で一生の宝になってくれればいいと思います。

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