人を殺しながらの復興支援はありえないーペシャワール会の活動を通じて
米軍主導のアフガニスタン戦争を支援するためのテロ特措法が11月1日に期限切れになりました。同国で医療や水資源などの支援を続けてきた「ペシャワール会名古屋」の五井泰弘さんに現地の状況、何が求められているのかなどのお話を伺いました。
五井 泰弘さん
1946年岐阜県本巣市生まれ。ペシャワール会 名古屋(海外医療支援NGO団体)事務局次長、本部理事
生きていくために井戸を
ペシャワール会は中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で1984年に結成されました。「ペシャワール会名古屋」は15年前につくりました。 1979年ソ連軍侵攻で生まれた難民のらい(ハンセン)への医療活動を中心に、1998年には、みなさんの募金でPMS(ペシャワール メディカル サービス)病院をつくり医療活動を行っています。ハンセン病は、貧しく不衛生な所で、今どんどん広がっています。
私たちは、彼らが主体的になるサポートを大事にしています。国づくりに役立つよう、医師、看護師、技師を育てます。もう一つは、無医村地帯に医療を定期的に提供してきました。
2000年、大干ばつのアフガニスタンの村々で200万人ぐらいが被災しました。生きていかなければと、これまでに1500の井戸を掘りました。機械は使わず、手堀で掘り、彼らに渡しています。彼らがいつでも出来る方法が大事です。
また、長い内戦の荒廃と干ばつで、ずたずたにされた用水路をつくり農業が出来るよう取り組んできました。
「アフガン命の基金」で15万人に食料を配給
2001年10月、アメリカのアフガン空爆が始まったとき、唯一、ペシャワール会だけがアフガニスタンの中に入って行動出来ました。空爆下、アフガニスタン国内避難民への緊急食糧配給を実施して、直ちに「アフガンいのちの基金」を設立、2002年2月迄に15万人に食料を配給することができました。
現在はその基金をもとに総合的農村復興事業「緑の大地計画」を始め、砂漠だった土地が緑の大地になっています。
用水路は柳を土手に植えたり、蛇篭(じゃかご)で堤防をつくるなど日本の工法でつくります。蛇篭の堤防は、洪水で決壊しても直せます。コンクリートは亀裂が入ったら何ともなりません。ゆくゆくは、用水路も彼らの管理にして、壊れたら彼らが直す、そうすると子どもたちにも伝わっていきます。
彼らの中には、素手、裸足で仕事をする人もいます。とても貧しく明日の食べるお金が必要です。明日の生活を支えるのです。日当として毎日、賃金を払っています。
アフガニスタンでは、けし栽培が世界のなかで9割を占めるといわれています。麦より、けしを作るほうがお金になるという現実があります。彼らは、作らざるを得ないのです。でも、そこに用水路が出来、麦や野菜、米が採れれば、けし作りを止めていくと思います。
親近感から攻撃される「日の丸」に 治安は悪化
事態はよくありません。アフガニスタン、パキスタンも治安は悪化しています。いつカブールが攻撃をうけても不思議ではない、活動はますます制約を受けています。
自衛隊派兵以前は、「日本は平和憲法をもって戦争をしない国だ」と親近感がすごく高かったのです。親近感のある「日の丸」の旗が攻撃される「日の丸」に変わったのです。ペシャワール会の車の「日の丸」は、消すことにしました。
パキスタンも極めて大きな問題が発生しています。いま、パキスタン政府は、「強制帰還作戦」として国内のアフガン難民215万人を2009年までに全員帰還させると決定しました。
パキスタンから撤退せざるを得ない もういちどスタートから
ペシャワール会に対しても今春からパキスタン政府の態度が硬化して厳しい状況になりました。われわれが難民を応援しているからです。「難民支援は、武装勢力を擁護することになる」という理由です。病院に数々の難題や「改善命令」という形で、医療活動に制限がかけられています。いままで黙認してきた資格の有無も問題視しています。
なんといっても難しくなったのはビザがおりないことです。短いときでは滞在期間が1週間だったりで、出たり入ったりです。パキスタンから撤退せざるを得ない状況で、現地は疲れ切っています。
中村さんは、権力にくみしない、大変な状況の中でも、しっかりとした信念をもっておられる骨の強いひたむきな方です。
24年間活動を続けてきたのですが、もういちどスタートをせざるを得ません。パキスタンのペシャワールにあった病院も、アフガニスタンのジャララバードに移転をして引き続き活動はすすめていく予定です。
「名誉ある孤立」もやむを得ないと考えています。
人を殺しながらの支援はできない
憎しみが、明日にも握ったことのない銃を握ることもあると思います。農民も畑で鍬を持ちながら銃を持つ、これをテロ組織だといえるでしょうか。イラクでもアフガニスタンでも一般の市民が殺されているわけで、そこで憎悪が増幅されていくわけです。いつまで経ってもなくなることはありません。アメリカの力の政策は、結局、一般の人を殺していくということしかないのです。
一方で、人を殺しながら、復興支援ということはありえません。「軍事」と「支援」、2つの手を一緒には出来ないわけです。軍事では平和は作れません。テロ措置法はもちろん、新テロ特措法でも、自衛隊が海外へでていくことはよくないです。日本の平和憲法が信頼されている訳ですから、「戦争しない」「軍事では物事は解決しない」ということを忘れてはいけません。