【09.11.10】インタビュー斎藤 孝さん 「平和の尊さを訴えるボランティアの日々―学校への訪問活動も

斎藤孝さん

 
「戦争と平和の資料館・ピースあいち」でボランティア、戦争の語り手代表として取り組んでおられる斎藤孝さん。「おひげの斎藤さん」で子どもたちから親しまれ、少しだけ手を出し、大勢でやるのがボランティアと。革新・愛知の会の事務所でお話を伺いました。

斎藤孝さん
1930年生まれ 1950名古屋市職員、1988年市民局長で退職、その後市政資料館館長。戦争と平和の資料館・ピースあいちボランティア、語り手の会代表

14年来の運動で「戦争と平和の資料館・ピースあいち」実現

 2007年5月に開館した「戦争と平和の資料館・ピースあいち」でボランティアをしています。
 弁護士の野間美喜子さんの提唱で、1993年から、「平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」を立ち上げ、愛知県、名古屋市に建設を要望し、さまざまな活動をしてきました。 資料館建設の請願は、県議会、市議会とも全会一致で採択されましたが、県は「財政事情が厳しい」、マスメディアには「愛知万博」と「中部新国際空港」の建設などで余力がないと釈明してきましたが、運動体には、未だ、明確な回答はされていません。
 2003年にNPO法人を取得、新たな運動をおこそうと2005年に「市民ギャラリー矢田」でモデル展を開催し2400人ほど来ていただきました。
 その予告記事をごらんになった加藤たづさんという方が「それほど困っているのなら、私が人肌ぬぎましょう。戦争中は、軍需工場で働き、戦後は助産婦として働いて得た資産。役立ててください。」と土地300m2と建設費1億円の寄付をいただきました。しかし、愛知県は、交通アクセスが悪いとか、土地が狭いと受けてはくれませんでした。議論を重ねた末、自分たちの手で建てることを決めました。
 しかし、平和資料館建設はこれからも愛知県へ要望し続けます。

「私はおひげの斎藤さん」

 2003年にぜひ、一緒にと、声がかかりました。私が先の戦争を知っている世代であること、戦争に反対する側にいたという2つの理由で引き受けることにしました。
80人のボランティアの一人として、現役の時は名古屋市の広報課長で、「昔取った杵柄」(笑い)と、ニュースの編集にも関わっています。
 学校への訪問授業も行います。「私は、斎藤といいます。おひげが生えています。おひげの斎藤さんと覚えてください」と自己紹介し、子どもとの心のふれあいを大事にしています。
 終戦の時、中学三年生で清洲の戦闘機の飛行場で学徒動員され働いていました。「サイタ サイタ サクラガサイタ」、「ススメ ススメ ヘイタイススメ」と小学校1年生から軍国教育です。中学1年からは教練、鉄砲の打ち方から教えられます。中学2年生から工場動員、兵器を作っていました。空襲やグラマンの機銃掃射も経験、怖い思いをしました。

子どもたちの声に励まされ

 戦時中に使われた防空頭巾、焼夷弾の燃えがらなど実物資料を見せて話をすると子どもは偏見なく、一生懸命聞いてくれます。小学校5年生の子は「日本は中国に悪いことをしたと分りましたが、謝りましたか」と聞くのです。「村山さんという総理大臣がいて『日本は、中国人民にひどいことをしました。』と言いましたが、賠償金を支払っていません。」と話しました。

 「当時の私は、この戦争は勝つと信じていましたし、勝たなければならないと思っていました」と話したら、後日、感想文が送られてきました。小学校6年生の女の子から「斎藤さんの考えは間違っていると思います。『勝つ』ことより何十万人の尊い命を守ることの方が大切です。日本は『勝つ』ことより『正しい国』になってほしいです」、と。
 「戦争の愚かさ、怖さを知り伝える世代はどんどん亡くなっていきます。焼夷弾、被害の写真は残っているので、戦争のひどさを伝えるためにピースあいちをつくりました。」と話すと「二度と戦争を起こしてはいけないと思います。斉藤さん、元気で長生きしてください」と手紙が来ました。
 大人はもちろん、子どもにも行動を起こしてもらわないといけない。そんな思いから、「私はボランティアです。2階の人もボランティアです。みんながやっていることは平和運動です。君たちも平和運動ができます。今日帰ったら、ガイドの人がどういう話をしてくれたのか、おひげの斎藤さんがなにを話してくれたのか、おうちの方に話してください。それがあなたたちの平和運動です」、と。
 ある高校生は「今度は私たちが行動する番です。その時はぜひ力になってください」、と。この国はまだ捨てたものではないですね。 こうした子どもたちの声に励まされています

少しだけ手を出し、大勢でやるのがボランティア

 早乙女勝元さんは、「ひとり一人の力は無力だけれど、声を集めれば、国を動かす力になる」、と。私は、その一人になりたいと思っています。
 ボランティアは、あまり手を出してはいけないです。少しだけ手を出す。その代わり、大勢でやる、これが、ボランティア活動です。
 まわりの方に、「ピースあいち」にぜひ、行ってと声をかけてほしいですね。
 憲法九条を守るために発言をしていくことが大事です。
 新政権がスタート、朝日新聞の天声人語に「こんなにハイスピードで飛ばしてカーブが回りきれるかしらん」とありました。民主党の中にも改憲論者はいますからね。私たち国民がしっかり発言していかないといけませんね。

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