加々美 光行さん
1944年生まれ。東京大学文学部卒業。1997年愛知大学現代中国学部設立に尽力し初代学部長。その後2002年COEプログラム国際中国学研究センター拠点リーダーとして推進委員長を務め、同センターの初代所長を歴任。南開大学(中国・天津)客員教授を兼任。現在、愛知大学教授。
日本を代表する現代中国政治研究者の加々美光行さん。現代中国研究と日中学術交流を進めておられ、その視点は常に等身大の「イノチ」。国家と民族の境界を超えて問題を抉り出し、解決を模索して活動しておられる加々美光行さんにお話をお聞きしました。
領有権問題をめぐって
2012年にメドべージェフ大統領の国後上陸、李明博前大統領の竹島上陸、香港活動家の尖閣上陸と立て続けに起こりました。
安倍政権の強硬な対外姿勢、日米同盟強化、自衛隊国軍化、さらには憲法改正、祖父の岸信介の悲願であった軍事的にも日本がアメリカから自立して外交上のフリーハンドをもつ方向にすすめようとしていることが、領有権問題をめぐって対立をよんでいます。
ドイツとフランスは戦争責任、歴史認識問題では明瞭に和解し解決しています。ですからヨーロッパはEU共同体が実現したのです。
しかし、東アジアでは、日本の政権与党が、戦争責任の決着を付けてこなかった。それが主権問題、領有権問題につながっています。
安倍政権は、普天間の辺野古移転実現で日米の信頼関係を回復し、領有権問題をめぐる日中間紛争にオバマ政権の全面支援を取り付ける思惑をもっていました。
しかし、アメリカは、安倍政権の対米過剰期待がかえって日中間紛争のエスカレートを招くことを警戒、6月に8時間におよぶオバマと習近平との米中首脳会談では、朝鮮半島の非核化に中国が可能な限り影響力を発揮することを確認しました。6月13日のオバマ・安倍の電話会談でオバマは、「日本が今の尖閣問題で強硬な姿勢を貫いていいわけではない。あくまで対話による解決をめざせ。」と。電話会談から2日後、日中首脳会談を求めて谷内正太郎内閣官房参与を訪中させ、7月に飯島勲氏が訪中しましたが、条件提示なしの無条件の会談要求は意味がないと中国側はゼロ回答でした。7月下旬に斎木昭隆外務次官が訪中し今年9月5日にロシアのサンクトペテルブルクで開催するG20で立ち話会談をしたいと申し入れたが、中国は断りました。
「領土問題は存在しない」発言に強硬姿勢の中国
2010年に中国漁船が日本の巡視船に衝突した事件がありましたが、その年の9月の衆議院安全保障問題国会審議で、当時の前原外務大臣が国会答弁で「尖閣をめぐっては領土問題は存在しない。棚上げ論は中国側が一方的に提起したもの、日本側は関知していない」と発言、翌10月外務省の公式見解として発表しました。2012年の野田政権の尖閣国有化発言とあわせて決定的に中国を対立強硬姿勢に向かわせたのです。
中国国内でおこっていること、安倍政権の思惑
中国海軍の軍事力拡大を中国の脅威と見る見方もありますが、太平洋に領土、補給基地を全く持たない中国はアメリカの軍事力をけん制したいとの思惑があるのです。もうひとつは、農民・労働者・住民・環境紛争、都市問題など国内で年間20万件、一日にして七百件の民衆の抗議行動が起きていること。実数は公表されていませんが最低でも五百万人が行動を起こしています。習近平政権は、国内的矛盾と軍部の強硬姿勢の両方から日本に対して強硬姿勢をとらざるを得ない。
安倍政権は自衛隊の国軍化、憲法改正、あるいは解釈を拡大して集団的自衛権を確立する、日米同盟の強化が最終目的なのではなく、アメリカからの軍事的外交からの自立に究極的な目標があるのです。くわえて北朝鮮の脅威、中国の脅威は改憲論にも後押しになるとの安倍政権の思う壺にはまっていると思うのです。
日中関係改善のために
明確に棚上げ論に戻り、そこから対話していかなければ解決の道筋は現れない。
1972年、日中国交正常化交渉に参加した当時の田中角栄首相が主権問題について議論しようといったためにみんな冷や汗をかいた。そのときに、周恩来が今、尖閣問題を議論するのは、やめようと言ったのです。
1978年10月に日中平和友好条約締結のときにも、訪日した鄧小平は「尖閣問題は後の世代に解決を、のちの時代になればもっといい知恵がでてくる」と言いました。これで2010年まできたのです。ところが、前原氏が「尖閣諸島は、日本固有の領土である」と断言したことで、中国は強硬姿勢をとり続けることになりました。
尖閣問題を語ることは、タブーに
野中広務元官房長官が6月2日に訪中し、劉雲山(中央政治局常務委員)と会談し、田中角栄は棚上げ論に同意していたことを伝え、その後記者会見しましたが、日本の記者は、「中国に利用されたと思わないか、あなたの発言を撤回するつもりはないか」と言ったのです。野中さんは「なにをいうのか、私は生き証人として、世間に知らせるために、来たんだ。」と怒ったそうですが、日本のメディアは棚上げ論を言うことすらタブー視するようになりました。
1ヶ月前に日本の「言論NPO」と中国の英字紙China Daily紙が日中共同でおこなった世論調査結果によれば、中国人の92%以上が日本にいい感情をもたない、日本人も90%を超える人が中国にいい感情持たないとの感情対立が起きています。
1955年の第一回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)は、アジア・アフリカの夜明けの時代が来ると宣言した。ベトナム戦争を軸にして反米帝国主義、反植民地主義、民族自決の精神、アメリカに対して抵抗する大きな力があった。そこに生まれた民族主義は、抵抗的な民族主義でした。
しかし、1970年代後半から1980年代にかけて中国は改革開放、市場経済主義が表れ、思想の冬の時代をくぐります。日本も同じ時期に思想の終焉時代を迎えます。その後、天安門事件の挫折を経て、90年代に入ると、日中ともに自民族を偉大視する新たな民族主義が台頭します。日本では95年から、「新しい歴史教科書をつくる会」「自由主義史観研究会」が登場し、日本の自虐史観を改めるべきという考え方がおきます。中国にも、江沢民の主導する愛国主義教育運動が全国を席巻し、それまでの抵抗主義的な民族主義ではなくて、相手を批判する排他性の強い民族主義が生まれてきました。
「棚上げ論」の段階まで戻って収拾を図るには、まず日中国民の相互嫌悪による排他的感情を克服しなければなりません。国民感情を左右するという意味で私たち専門家の責任と、マスメディアの責任も重いと思います。
憲法9条擁護を主張している人も中国の反日や軍事拡張に民族的な反発を感じる人がいます。朴槿恵韓国大統領が北京に行って日本の歴史認識を批判しましたが、九条擁護の方々であってもその最中に間髪入れずになお「朴槿恵の話はもっともなことだ」と言える人がどれだけいるでしょうか。 勇気をもって発言している人はいるのですが、それが世論として大きくなっていない。
周りの空気を読むいうことはないでしょか。
かつて突破口となった「戦略的互恵関係」がそうであったように、経済レベルで日中関係を正常にしていくことも有効な一つの解決の道ではないか。
恒久平和と核廃絶を願う日本国民意思を体してその想いを米中韓に伝え、東アジアの信頼関係を再確立し孤立から脱出するためには、私たちに何が求められているのか考えていきましょう。