【13.08.07】「伝わる言葉」を紡いでいこう!――川畑博昭さん

「伝わる言葉」を紡いでいこう――憲法を考えたことない人にも

 
川畑 博昭 さん

1970年鹿児島県生まれ、在ペルー日本国大使館派遣員、専門調査員。
名古屋大学大学院法学研究科博士課程満了、現在、愛知県立大学日本文化学部准教授。

かつて在ペルー日本国大使館で、クーデター事件に遭遇したからこそ9条、平和が大事との思いを強くされている川畑博昭さんに県立大学にお伺いをしてお話を聞きました。
(聞き手・撮影/岩中美保子)2013年7月26日

「憲法改正」のもくろみ

 権力者は、今の日本国憲法に文句があるのです。象徴天皇にも、国民が主権者だということにも、軍隊と呼べないものをもたされたことにも、苛立ちを感じるのでしょう。 自民党は憲法「改正」と言うけれど、2005年には「新憲法」起草委要綱という言葉を使い、憲法「制定」に化けてしまっていました。やりたいのは憲法の「仕切り直し」
です。今回の「改正」案を見れば、それがよくわかります。  
 ペルーの大使館に勤務していた時にクーデターに遭遇し、憲法が一晩でかんたんに吹き飛び新しい憲法ができたことを目の当たりにして、そのことがよくわかります。
 憲法は国家がふむべき基本的なルールだとすると、日本の憲法「改正」を望む連中の思惑が非常にはっきりしてくると思います。

ペルー大使館で爆弾・人質事件に遭遇して

 大学の学部と大学院の在籍中に二度にわたり、在ペルー日本国大使館の派遣員と専門調査員として勤務したことがあります。派遣員時代の1992年の12月には、勤務中に大使館に車両爆弾が突っ込みました。もう20年も経っていますが、今でも夢を見て飛び起きることがあります。その時には、吹っ飛んで死ぬのだと、親のことを思いました。「自由にさせてもらったけど、ごめん」って。二度目の1997年4月には日本人人質事件の最中でしたが、着任したその日にペルー軍の突入がありました。
 2001年の憲法調査会の名古屋での地方公聴会で述べたように、死の恐怖を体験した立場から言えば、軍事報復を何の緊張感もなく主張することこそ「平和ボケ」で、思考の怠慢だと思います。軍事的解決を簡単に言うのは、「当事者」という視点が欠落しているからです。命の尊さの観点に立てば、忍耐と時間を要しても対話と和解しかない。自分が「軍事力そのもの」になること、国のために身を危険にさらすことを、今どき喜んで受け入れる人はいないでしょう。受け入れる人は、自分が「当事者」になることはないと考えるからです。その経験から言えることは、やはり9条が予定する平和が大事です。たとえ実体は軍であっても、軍じゃないと言い続けなければならないことは、ことのほか大切なのです。

「権力を縛る」とは?

 最近では96条がフォーカスされてしばしば言及されましたが、立憲主義とは、「権力を縛る」とは具体的にどういうことか。小泉首相はかつて陸自のイラク派遣の際、「後方支援で戦地ではないから9条には抵触しない」と言っていましたが、その後、「怪我もせずに無事に帰ってきた」とわざわざ言わなければならなかったのです。「権力が縛られている」とは、こういう「力」が働いていることでしょう。「立憲主義」という言葉で「わかった気」になるだけでは充分ではないと思うのです。
 自民党の石破氏が「憲法改正案」に国民の理解を求める機会をつくっていくと言いましたが、権力の側は非常に細心の注意をはらっています。それは、改憲の全体像が国民にきちんと伝わったときには、受け入れてはもらえないだろうと感じているからです。
 憲法をかえることが誰にとって都合がいいのかと考えたときに、国防軍や元首天皇に国民は従いなさい、となるわけです。「清き一票」と言いわなくてよい時代になるのです。競争させる、差をつける、できるものだけをすくい上げる世の中にしたいという案だと思います。それを聞いて、何の迷いもなく良いと思う人は、一部の人を除いておそらくいないでしょう。社会を取り結ぶ人間の意志こそが大きなものを言うと思います。そう考えて、「伝わる言葉」を見つけ出していく必要があると思います。

「伝わる言葉」を

 学生から、「軍や武器をもって守るべきだ」という意見が出てきた時、ペルーの体験を話し、「それでも武力の有効性を主張できるなら、是非ともして欲しい」と問いかけます。ほとんど応答はありませんが(笑)。一つひとつ説くことでしか実体験がない人たちに伝える方法はないように思います。
 ぼくは自衛隊が「当たり前」の現実の中で生まれていますが、今の学生はそれに加え、「小選挙区制」が「当たり前」の現実の世代です。異なる制度を経験していれば比較対象もあり欠点もわかりますが、そうでなければ「当たり前」の現実を疑う眼を得ることはなかなか難しいです。その意味で、今の若者に責めはないわけです。
 「目に見える現実」―たとえば「自衛隊」でも「小選挙区制」でも―に疑問を抱く視点をもってもらうには、時間がかかると思います。だからこそ、憲法を考えたことのない人にも届く言葉を紡ぐことが必要です。

言葉の可能性

 憲法99条に関して、「国民は憲法を守る必要があるのか」という問いを立ててはいけないと思います。99条は「権力者が憲法を守ることを国民が命じて」います。だから、99条にこそ国民主権の真髄があるのではないかと考えています。そうすると、「権力を縛る」とは「真っ当な権力」にすることだとも言えます。「権力者に緊張感をもたせる」と言ってもよいです。世の中を変えるには、やはり民のための権力は要りますから。
 若い人に、「なぜ伝わらないのだろう」と思う時があります。だけど、自分たちと同じ現実が見えていると前提してはいけないですね。自分が生まれ育ってきた時間の中で見える現実がそれぞれにあります。だから何度も立ちどまって、共に見えるものをつかみ取る必要があると思います。
 展望は明るく持ちたいです。憲法運動でも「伝わる言葉」を紡ぐことをあきらめていません。問われているのは、ぼくらがどう考えて、どんな言葉を持たなければいけないのかですよね。最終的には、政治家の手段も言葉です。言葉の力って、やはりあなどれないと思います。これからも、ぼくは皆さんと一緒に勉強をしていきたいと思っています。

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