社会と信仰を切り離さず、歴史を学び、未来を展望して
草地 妙子さん
1978年生まれ。
老朽原発40年廃炉訴訟市民の会共同代表。
日本基督教団名古屋中央教会信徒
やらなくっちゃあと・・・
日本基督教団牧師である夫の赴任先の鳥取、山口で一人の信者として教会にかかわりすごしてきました。 祝島では、電力会社と国によって小さな町の分断に怒りを覚え座り込みにもいきました。福島で原発事故が起こったときは本当に呆然としました。祝島の人たちが反対してきたことは間違いではなかったんだ。自分の非力も感じ、子どもに申し訳ないと思いました。
3年前に夫の赴任先が名古屋に決まったときに、上関原発で一緒に運動してきたみなさんに「名古屋でも頑張ります」と宣言して(笑)中電前や、原発ゼロ名古屋アクションの実行委員に参加し、名古屋での裁判に原告としてかかわるようになりました。
いつの間にか、廃炉訴訟市民の会の共同代表になりましたが、福島原発事故、脱原発ではなく逆戻りをしている現実に「えいやあ」やらなくっちゃあという気持ちでしたね(笑)
全国で初めて廃炉訴訟の意義
高浜1・2号機、美浜原発は40年を迎える老朽原発です。福島原発事故後、運転開始から原則40年で廃炉させるという「40年ルール」を政府が決め、運転延長することは「例外中の例外」とされていたはずでした。原子力規制委員会は、昨年6月、高浜原子力発電所1・2号機の運転期間をさらに20年延長する認可を決定しました。
今回の裁判は国を相手とする行政訴訟です。新規制基準そのものに合理性があるのか、審査の過程に瑕疵がなかったのかを問う裁判です。全国で老朽原発の延長問題を扱う初めての裁判で、すごく重要な裁判です。
名古屋という地域で力をあわせてやるべきだと思いました。
原則40年廃炉ですが、規制委員会が認めれば最大20年延長できるというように法改正がされました。20年延長はおかしいという危惧がありました。当時、細野原発事故担当大臣が「例外中の例外」とか田中原子力規制委員長が「相当厳しい態度で臨みます」といっていましたが、言葉はあてになりません。
黙って見過ごしちゃあいけない、全国で最初の裁判で40年原則廃炉を守らせることは高浜、美浜だけではなく、今後40年を迎える原発がたくさんあるなか、非常に重要な提訴です。
老朽原発の危険性
私は原告の一人として意見陳述をしました。高浜原発と名古屋は100数十キロしか離れておらず、偏西風の影響を考えると、被害を受ける圏内に位置しています。私たちは危機感をもっていることを裁判官にわかってもらうことが大事だと訴えました。子育て中の親として未来に対しての責任があることを生活者の立場から訴えました。「原発いらない」と社会は変わってきていることを裁判官にわかってほしいという思いでした。
原発自体大変危険なものですが、老朽ということはいろんなリスクを伴うことで危険です。
規制委員会の体質、原発再稼働ありきの姿勢を厳しく問う裁判です。高浜3・4号機の高裁判決は規制基準に適合しているからというひどいものです。
新規制基準には避難計画の審査が含まれていませんアメリカでは避難計画が審査の対象になっています。どこが「世界一厳しい基準」ですか。事故があったら逃げられない人がでるのです。規制委員会は、基準に適合しているかどうかを審査するだけで安全とはいっていません。
他方で、政府の会見は「安全が確認された原発をうごかす」と使い分けをしています。見抜いていかないといけませんね。
市民としての矜持
たくさんの人に裁判の傍聴に来てほしいです。法廷に入れないくらい大勢の人で裁判官に「みてるぞ」としめさないと。裁判の結果にどう影響を与えることができるのかわからないけど、裁判所としての責任、裁判官の矜持ってあると思うのです。そのためには、市民なりの矜持を見せてやろうというような気持ちですね。通じるといいと思いますね。
原告は、高浜と、美浜の2次提訴を加えると180人位になります。
原発に依存しなくて「風がいっぱい。太陽がいっぱい 世界はもう自然エネルギーで動いています」と未来を示す取り組みも大事です。世界の趨勢は自然エネルギーに向かっています。 4月8日には、「映画と講演」を予定、未来に向かって元気になれる企画なども取り組んでいます。
見過ごせない
基地、原発、憲法、教育など原発訴訟の思いと同じですが、見過ごせない。これからの時代を生きていく子どもたちのことを思うと見過ごしてはいけないことがたくさんあります。
歴史を学び、その上で今を見て、未来を展望していくことを大事にしたい。願わくば子どもにもそのような思いをつなげていきたい。 いつの時代にも権力を監視するという健全な批判精神は大事だと思います。
少数派が大事にされる、大きい声ではないけど、見過ごさない社会、受け入れられる社会を願っています。
「社会と信仰を切り離さず」―私自身の信仰の土台です。これからもその思いをもって見過ごさず、取り組んでいきたいと思います。