平和的生存権を問う安保法制違憲訴訟
1934年10月生まれ。弁護士。岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部卒業、1992年日本社会党国会議員、護憲、男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法などに尽力。沖縄高江への愛知県警機動隊派遣違法訴訟弁護団長、安保法制違憲訴訟弁護団。
「たのむぞ。頼りにしている」
弁護士団体である社会文化法律センターの理事長の伊達秋雄さんをご存じだと思いますが、「米軍駐留は憲法9条違反」と断罪した砂川事件・東京地裁の裁判長です。
その伊達さんが「折り入って頼みがある。大脇さんのような労働弁護士はこの頃たくさんでてきた。あなたには憲法の擁護の分野で活躍してほしい。ぼくはローザ・ルクセンブルクが大好きでローザのように死にたかった。わたしはいま、体調を崩し畳の上で死ぬしかない。君は議員になって憲法擁護で頑張ってくれ」と言われました。
わたしは伊達さんを尊敬していました。家族はみんな反対、訴訟事件ももっていて悩みました。当時、東海ラジオの男女差別事件で調停を申し立てたのですが、当時の雇用機会均等法のもとでは、会社の同意がないと調停は開かれませんでした。
私は無念で「弱腰ではないか」といって雇用機会均等室で怒ったのです(笑)。室長が「法律の欠陥だから国会へ行って法律を直してきてください」というのです。
1990年にはじまった湾岸戦争に、海部首相はアメリカが要請した93億ドルの支援を決定しました。平和的生存権の侵害であると市民平和訴訟も起こしていました。 係争中のパート労働者の賃金差別訴訟では、パート労働法など立法がなければ壁が破れないことを痛感もしていました。
伊達さんの「頼むぞ 頼りにしている」の声に押され、1992年から2004年まで二期12年、参議院議員として立法と法案審議等にかかわってきました。
小選挙区制のマジック
1993年細川内閣の連立内閣ができ、1994年の小選挙区制導入の採決のとき、党議に造反して青票(反対票)を投じました。
当時衆議院議長の土井たか子さんに本会議のベルを押さないでほしいと面会を申し入れましたが会うことはできず、法案は成立しました。統制違反で労働委員会などの重要なプロジェクトから全部はずされて村八分にされました。
いまの安倍の暴走政治、改憲の動きや沖縄の辺野古新基地建設など、民意とかい離した安倍政権は、明らかに小選挙区制のマジックの結果です。選挙制度をたださないといけないですね。
私の原点―戦争体験
終戦は、私が10歳の時でした。岐阜の空襲で火の中を逃げ回った戦争体験が私の原点をつくっています。国民学校で戦争教育を受けて育ちました。兵隊が学校に常駐して毎日毎日、軍事教練、行進をやらせ、先生もしごかれる。勝っていないのに日の丸を振り「万歳!万歳!」と言わせられました。
だから、私は熱狂には絶対に同調せず、冷静でいようと思いました。
防空壕に入ってみんな焼け死んでいます。命を守ることが教えられない。空襲のなか兵隊がまっさきに逃げているのです。軍隊は市民を守ってくれません。
平和的生存権を問う安保法制違憲訴訟
平和的生存権は戦争や武力紛争で命を奪われないという非武装中立の人権思想が根源にあります。
平和的生存権は、積極的に平和をつくろうという権利でもあります。憲法の真髄ですね。米軍基地に反対して非暴力を貫いて抵抗している沖縄のたたかいは、ガンジーのイギリスの植民地からの独立運動、ネルソン・マンデラのアパルトヘイトに反対し和解と共生を求める運動、マーティン・ルーサー・キングの公民権運動と並ぶものです。非暴力のたたかいが世界を変えてきているのです。
沖縄高江への愛知県警機動隊派遣違法訴訟のたたかいのなかで、私たちの足元にある「世界史の中に刻まれる闘い」をわたしたちもたたかわずしてどうなのかという思いに至っています。 沖縄のガンジーとよばれた伊江島闘争の阿波根昌鴻さんなど、多くの人たちによる長い非暴力のたたかいに対し、本土のわたしたちは「私の怒り」として、参加しなければなりません。
8月に提訴をする「安保法制違憲訴訟」もまさに「平和的生存権」を問う訴訟です。
本来なら立法で廃止をしないといけない、しかし、提案しても審議すらされない国会が機能不全なら、司法に問う、司法の良心を信じて提訴しました。
名古屋の訴訟は、安保法制が実施されて3年経過して軍事化が進行しつつあるなかで、ノーベル賞受賞の益川敏英氏や元裁判官らが原告に参加しています。大変だけどやりがいがあります。
平和への道
米軍基地の問題は沖縄だけの問題ではありません。岩国、横田基地など本土の基地統一闘争は必然的に繋がって、日米安保条約や日米地位協定の改定へと向かうことになります。軍事ではなく武力によらない日本独自の平和への道です。
沖縄の慰霊の日に14歳の相良凜子さんが「戦力とは愚かな力」と唄いました。軍事によって平和はつくれません。「武力によらない平和」は、対話と寛容、わたしたちの平和創造の活動こそ大切ではないでしょうか。
状況が悪ければ悪いほどわたしたちはあきらめてはいけないと思います。