【19.09.10】金城美幸さん(パレスチナ地域研究)―歴史を学び直す「未来に繰り返さない」記憶の形成を

自らの生い立ちと重ねて

 
金城 美幸 さん

1981年生まれ。大阪府出身。立命館大学国際関係学部卒業、立命館大学・中京大学・愛知学院大学非常勤講師。専門はパレスチナ地域研究。パレスチナ/イスラエルにおける歴史認識論争について研究。

「表現の不自由展・その後」

 パレスチナ研究をしています。パレスチナでの歴史認識論争を研究しつつ、日本の状況も透かしてみることができると思い、「慰安婦」問題については研究の片側で追いかけてきていました。
 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」は面白い試みだと感じていました。「すでに表現の自由がない」ことを提示する趣旨だったが、それすら中止に追い込まれた。非常に危機感をもち、市民運動ともつながりたいと抗議活動に参加しました。

「記憶」を「記録」に

 イスラエル建国は1948年。イスラエルでは歴史的栄光の瞬間とされますが、パレスチナでは大災厄(ナクバ)と呼ばれています。パレスチナ人が大量追放され、村落の半数が破壊、住民の3分の2が難民になりました。これは圧倒的な追放の暴力ですが、この事はイスラエルでは長く隠蔽されてきました。70年代にイスラエルの国家資料が公開され、新しい研究によって追放の事実が明らかになりましたが、2000年代に強烈な反動攻勢をうけ、ふたたび封印されています。パレスチナ人へのヘイトスピーチや物理的暴力も一段と増えました。
 パレスチナ難民はナクバを決して忘れず語り継いでいて、私も難民や子孫の方をインタビューをしています。パレスチナ人は記憶を語り、記録に残し、イスラエル建国時の暴力をあばく。しかしこれらの証言はイスラエル側の国家資料にないため、パレスチナ人は「ウソつき」「ユダヤ国家の破壊をもくろむテロリスト」と攻撃され、自国他者との和解を拒否する「ならず者」と見るイスラエルの状況は今の日本と酷似しています。の歴史的不正義を直視せず「平和国家」・「民主主義」というナルシスティックな幻想におぼれ、他者との和解を拒否する「ならず者」と見るイスラエルの状況は今の日本と酷似しています。

宗教紛争ではない

 パレスチナ問題は宗教紛争や民族紛争ではなく、植民地支配によってくつられました。
 パレスチナかつてはオスマン帝国で、イスラームの覇権の下、ユダヤ教徒やキリスト教徒が一定の自治をもち、共存していました。オスマン帝国の力が弱まり、英・仏・ロが「キリスト教の保護」を名目にこの地域に介入したことで、共存関係が崩れたのです。決定的なのは1917年のバルフォア宣言です。時の第1次世界大戦中。ユダヤ人の協力を取り付けたいイギリスが、パレスチナにユダヤ人郷土を創ると先住者の意志を無視して決めました。パレスチナ問題はまさに大英帝国の植民地政策結果です。

生い立ちと重ねて

 私の父は在日二世、母は日本の軍医だった祖父と中国人だった祖母の間に生まれました。私には在日朝鮮人とパレスチナ難民は重なって見えます。大日本帝国により一方的に皇民化されながら戦後日本で権利を奪われ、制度的に追放された在日朝鮮人。他方、イスラエルの建国とともに物理的に追放されたパレスチナ人、イスラエル建国は1948年5月、戦後日本の出発点である憲法施行が1947年5月、両国とも「民主主義」を標榜しますが、起源には植民地住民を排除して暴力がある。私は、帰化ましたが、在日朝鮮人、日本、中国のルーツがあり、それぞれのルーツが排除の痕跡だと感じます。そういうアイデンティティーの中で日本からパレスチナ問題を考えてきました。

人間的な共感をもって

 私には祖父母の経験を記憶できなかった悔いがあります。難民の方の話を聞いていると、自分の祖父母から聞いているように錯覚するときがあります。祖父母から聞いた断片的な記憶が、パレスチナでの経験とこんなにも似てるのか?と。人間的な共感は地域をを超えます。同じ植民地主義の暴力の記憶があり、「慰安婦」も私の祖母の時代、祖母の土地での出来事です。否定され、尊厳が踏みにじられ続けるのは許せません。
 日本は法的には植民地を失いましたが、それを支えたメンタリティは反省されていない。後世に記憶を伝える取り組みがまったく欠けています。「慰安婦」にされた方の闘いは反日=現代日本でなく、反日帝です。
 未来に繰り返さないようにするには、語り、記憶し続けるしかありません。

歴史を学び直す

 植民地主義は人類が乗り越えるべき歴史です。
 植民地主義の時代、自身や祖先がどういう振る舞いをしたのか。一人一人が自分の過去をナショナリズムの歴史から解放し、自分の結びついた物語としての「学び直す」必要があります。「敵」とされる人々と人間的に出会う討論の場やフォーラムがあちこちで必要です。「表現の不自由展・その後」はそうした場になりえるはず。是非、再開してほしいです。

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