一人ひとりが尊重される社会に
隠岐 さや香さん
1975年生まれ。東京都出身。科学史研究者。名古屋大学大学院経済学研究科教授。
著書『文系と理系はなぜ分かれたか』(星海社新書)など。
日本学術会議
日本学術会議法は、「科学者の総意の下に世界の学界と連携して学術の進歩に寄与する」と謳っています。
この点から見ても今回の事態は、表現の自由や学問の自由にかかわることを間違った解釈によって捻じ曲げました。学者の共同体が自立した意見を述べることについて政府が受け止めることができない根本的な問題があると思います。
戦前の出来事を教訓にしなければなりません。戦前大日本帝国時代の帝国学士院というアカデミーは議会に学者を送り込んでいたのですが、その一人美濃部達吉議員は、「天皇機関説」を説いたことで議会で罵倒され、議会も大学も辞職を強いられました。この事件は滝川事件とともに戦前の学問弾圧の始まりとして記憶されています。
日本は君主制の国になったのか
私は18世紀のパリの王立科学アカデミーについて研究していますが、その会員選挙においてはアカデミーが2、3名の候補を出して、そのうちの一人を王がえらぶというスタイルです。調べた限りは18世紀の後半ではほとんど認められています。そもそもアカデミーには自由を与えなければいけないとしており、今回の事態は、近世フランスのブルボン王朝時代の出来事ではないかと驚きました。
選挙制が導入される以前には、政治的、宗教的な理由で会員として認められなかったこともありました。 今回の任命拒否と構造が似ているので、日本は君主制の国になったのかと思ったほどです。
自民党の提言は問題
自民党のプロジェクトチームが非常に早い段階で提案を出してきて、「内閣府の組織から、ほかの国のように民間の非営利組織としたらどうか」といっています。それでいて国の政策提言にかかわることを強化して欲しいとしています。ほかの国も確かにそのような機能はありますがそればかりではありません。戦前にあった「学術研究会議」という組織がありますが、自民党案はその機能にかなり似たものを想定しているように見えます。
日本学術意会議ではそれに応答する報告書を出していて、「現在は、ナショナルアカデミーの役割を果たしており、広報機能を充実させ、国民に身近な組織になっていきたい。方向性としてはこのままで問題ないのではないか」と。自民党の意向とは完全にすれ違っています。
アカデミーという組織は国によってちがいます。その活動も多様であり、自国のためのものとは限りません。
たとえばフランスの科学アカデミーは学者の人権を守るため、政治弾圧を受けた学者の事例について報告書を作成し、国際社会に呼びかけています。
日本学術会議も行政や他の省庁に先駆けて少数派の人権問題を扱うことがあります。LGBTについては2014年に日本学術会議で分科会が設置され、同性婚やLGBTの権利などについて提言を出しました。他の政府機関はここまでやっていません。日本の学術会議の10億円の予算は多いように見えるかもしれませんが、他の国ではひと桁予算は多いです。
方向性の定まらない政治
菅政権にはあまりビジョンというものを感じません。他の方も指摘していますが、日常の細々したことにばかり人々の関心を向けさせようとしているようにみえます。
安倍首相は安保法制にみられるように、よくも悪くもビジョンは明確でした。 菅首相は携帯電話、デジタル化など個別の政策で人々の気を引こうとはするけれど、何をしたいのかが伝わってきません。方向性の定まらない政権です。
日本の危機的な状況に対応できるのか、イエスマンばかりになって熟慮できない政権になっているのではないかと大変心配しています。
夫婦別姓をめぐって
ジェンダー問題ですが、日本会議など夫婦別姓とか戸籍制度、日本の家族制度にある意味で、宗教的な情熱を持っている人たちがいます。こうしたことを煽ることで夫婦別姓を妨げる動きがあり、異常なことだと思っています。
ジェンダー不平等のしくみや社会の構造が今後、洗い出されていくと思います。
私はこのことについては楽観的で、いよいよ本格的に時代が変わりそうになったから、最後の抵抗をしているのではないかと思います。ろうそくは消える前に輝くように、いよいよ変わろうとしているから激しい抵抗があるのではないかと思っています。
1980年代だと夫婦別姓はまだ、先鋭な意見のように見えていましたし、他の国もそうでしたが今は、日本が世界から遅れており、明らかに空気がかわってきています。オセロがひっくり返るように変わるのではないかと思っています。
ひとりひとりが尊重される社会になってほしいです。