【16.04.10】疎外する社会があるべき名古屋の姿だろうか― 裵明玉(弁護士)

 
 3月4日、河村たかし名古屋市長は朝鮮民主主義人民共和国の核実験などを理由として朝鮮学校に対する補助金の執行を停止すると表明した。外国人住民の支援団体や愛知県弁護士会から、朝鮮学校の子どもたちの教育を受ける権利は外交上の理由で害されるべきでないとして反対の声が出される中、29日には文部科学省が、朝鮮学校に補助金を支給している自治体に対し、再考を促す通知を発した。
 1965年の文部事務次官通達を彷彿とさせる事態である。当時の文部省は、各種学校の認可権を持つ都道府県知事に対し、朝鮮学校を認可すべきでないとの通達を送った。背景に日韓条約の締結という政治の力学があった。50年が経ち、朝鮮学校は日本への永住を前提とする民族学校へと変わり、そこで学ぶ子どもたちは、在日4世、⒌世となったが、政府の対応は何ら変わらないといえる。
 しかし重要なのはこれを名古屋に住む私たちがどのように受け止めるかである。1965年通達に対し、朝鮮学校のあるすべての都道府県知事は通達に反して朝鮮学校を認可し、独自の補助金で支援してきた。地域の子どもたちの教育は待ったなしの問題であり、在日コリアンの子どもたちの受け皿となる朝鮮学校の意義が認められてきたからだ。コリアンの子どもたちが公立学校に通えば公金の負担があることも考慮された。
 曾祖父母の代から日本に住み、地域で育まれた子どもたちに「敵」の烙印を押し疎外する社会があるべき名古屋の姿だろうか。むしろ草の根の交流と理解を通じて大きな平和につなげていくことこそ重視されるべきだと考える。

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