【19.10.10】渡邊優子さん―脱原発につながる裁判を全力で!

政治も司法も私たちの手に取り戻さなければ

 
渡邊 優子 さん

1974年生まれ。
原発事故後、千葉県松戸市から避難。原発事故避難者の会・愛知共同代表。

避難者訴訟に関わって

6年ほど前、ADRに取り組む弁護士が避難者訴訟の原告を募集していましたが、千葉県松戸市から避難した私は、福島県外避難者の提訴は難しいとの思いと、甲状腺検査体制づくりや給食や土壌の放射能測定や行政交渉などで忙しく原告にはなりませんでした。でも、政治や司法や市民に広がる被曝容認社会を変えたいという思いがありサポートしてきました。
 愛知岐阜の避難者の裁判は、2013年6月に提訴され、43世帯・114人の原告で闘われました。そして、2019年8月2日、国に全面敗訴。国の責任も認められず、東電の賠償も原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の指針と概ね変わらない。シビアアクシデントについては主張立証されていないとされてしまいました。原告にも「何のために裁判やったのか」という思いが広がりました。体調を崩す人もいる中で、控訴するには葛藤がありましたが、8月16日に控訴を決めました。

脱原発につながる裁判にしたい

 原告がなぜこの裁判を闘うのか。それは今の社会を変えるためです。国策民営の原発事故で国の責任を認めさせたい。今なお続く被ばくの責任を取らせたい。自己責任で終わらせられたくない。再稼働はありえない。黙っちゃおれん!それにつながる裁判にしたいから、ある人は自身の生活を削り、ある人は裁判所に通い詰め、たたかい続けてきたのです。
 被ばくのことを明らかにしたいです。当時松戸市でも「子どもが鼻血だした」と話題になっていました。今回の裁判でも原告の証言によって、原発事故後の体調不良が次々と明らかになっています。
 私たちは何も知らされず被ばくさせられ、今も被ばくは終わっていません。「被ばくさせた罪」を明らかにして「被ばくさせられない権利」を勝ち取りたいです。

人権とはなにか

 日本では、被災者・避難者を「かわいそうな人」と見て、支援してあげるんだからありがたく頂きなさいという風潮がある。たとえばどんなに古い家でも「無いよりマシ」で住まわせる。人間らしく過ごすために必要な衣食住を求めることは海外では当たり前だし、それが人権意識だと知った。 自分たちの権利を守るために、ものを言う避難者は干される傾向がずっとあります。

避難者が被害者に

 一方で、今年9月に群馬の原発裁判で、司法の場で国が避難者を加害者扱いする事態がおきました。国側は避難者が「福島の住人の心情を害している」「我が国の国土に対する不当な評価している」と主張したのです。
 明らかに権利を侵害され被害を訴えた人を加害者のように扱うというのは「表現の不自由展・その後」の状況とも通じるものがあります。
 これまでもそういう事を言う人はいました。福島に残っている人のことを配慮して被ばくについての発言を控えるべき、と言うのです。でもそこに国がお墨付きを与えてしまうようでは、今後どんどんエスカレートするのではと危惧しています。

みんなで怒ろう!

  先日、東京地裁で東電経営者の無罪判決が出ました。私は率直に怒れないでいます。なぜなら三権分立はすでに危機的状況だと思っているからです。この間、原発関係の裁判でまっとうな判断がされていません。東電役員に最高裁判事が天下り、人事権は国が握っているからです。政治と同様に、司法も私たちの手に取り戻さなければいけないと思います。
 実はそういう思いもあって安保訴訟の原告になりました。裁判を一部の特殊な人がやることにしてはいけない。裁判官の人事も含め変えないといけないって気づいてほしい。みんなで怒ればきっと変わるという思いを強くしています。

私の思いは憲法なんだ

 裁判に関わる中で気づいたことがあります。私が実現したいと思っていることは憲法に書かれていることだ、と。
 憲法前文には、私たちは誰しも「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と書いてあります。それなのに、核爆弾の中身をバラ撒かれてもなお、私たちは国から我慢を強いられています。毒性のある放射性物質の危険を避けることは、どこに住んでいる人にも認められるようにしなければならないと思います。
 裁判は全力を尽くしてたたかいたい。そうでなければ裁判をやった意味がないし、なにも勝ち取れない。
 ぜひ、たくさんの人に支援してほしいし、一緒に声をあげてほしいです。

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