熱田空襲遺跡を守る有志の会 林信敏

《写真》
安全保存された熱田空襲犠牲者の平和地蔵を見学する市民
(名古屋市熱田区白鳥橋西・第二次大戦非戦闘員横死者諸霊之 追善菩提・平和地蔵尊)
市民の運動 大企業を動かす
「市民の運動が大企業を動かしたね」―。このほど、名古屋市熱田区にある愛知時計電機株式会社が同社の敷地の一角に立っている空襲犠牲者の平和地蔵の撤去計画を撤回し、転倒事故防止工事を施し安全保存が実現しました。
私たち「熱田空襲遺跡を守る有志の会」は、昨年春以来、平和地蔵の安全保存を求めて運動。「平和のお地蔵さん守れ」の世論が急速に広がりました。
本年5月31日の中日新聞社説は、「地蔵を守ったのは住民らの声だった」「守られた地蔵が『新たな戦争』を防ぐための、心のよすがの一つになればと願う」と書きました。
6・9空襲
太平洋戦争末期にあった米軍による名古屋空襲の目的は軍需工場の破壊と市街地の焼き払いでした。終戦の年の6月9日朝にあった米軍B29爆撃機編隊による熱田空襲の目的は、船方・千年地域にあって航空機や魚雷などの日本海軍兵器を製造していた愛知時計電機と子会社・愛知航空機の工場破壊でした。米軍最大の2㌧爆弾が投下されました。
死屍累々の地獄
8分間の空襲により工場従業員、動員学徒、地域住民らあわせて2千人超す尊い命が奪われました。
体験者は語っています。「工場は大被害で壊滅、爆撃穴は血の池。工場建屋の鉄骨の柱には肉片がこびりついている。堀川にはおびただしい死骸が川面に浮き、道路には遺体が転がっている。幾多の肉片が飛び散っている。地獄さながらであった」
「新しい戦前」
愛知時計電機による平和地蔵撤去計画は、同社の工場正門前に同社が建立した「殉国」地蔵に一体化する計画でした。
私たちは、戦争美化、軍国主義復活、軍需企業回帰など「新しい戦前」の不安を感じました。
一方、平和地蔵の撤去通告が出る直前、熱田空襲をふくむ名古屋空襲犠牲者を悼み市民の平和意識を醸成する「なごや平和の日」が制定されました。「なごや平和の日」づくりの推進力は高校生の平和運動でした。
熱田空襲の平和地蔵撤去計画はまさに“逆行”でした。私たちは急遽、「熱田空襲遺跡を守る有志の会」を立ち上げ、会社社長、市長、市議会議長、議員らに平和地蔵の安全保存を強く要請しました。
広がる共感と支援
「有志の会」は、空襲展や学習会、空襲遺跡見学、平和バザーなど多彩な活動に取り組みました。市民の共感と支援が急速に広がりました。
昨年、平和運動の3つの前進があったと思います。日本被団協のノーベル平和賞受賞、「なごや平和の日」の制定、そして、熱田空襲犠牲者の平和地蔵の安全保存です。
今年6月7日、熱田空襲80年の記念行事として開催した「平和のための熱田空襲展」は大成功しました。
「ノーモア空襲・ノーモア戦争」―空襲記録の伝承活動を次世代、次々世代につないでいけると確信しています。