【21.09.10】三輪勝さん(海鮮居酒屋「うお浜」代表)

「補償」と「休業」は一体に!

 
三輪勝さん
岐阜県関市生まれ
関商工高等学校卒
京都調理師専門学校卒
三重の漁師小家 うお浜現代表

仕入れ魚の変化

 私の店は50席くらいで、魚料理と日本酒に力をいれている居酒屋です。ビジネス街なのでランチもやっています。入口に水槽を置いていて活魚・貝をいれていますし、三重県から鮮魚を週三回仕入れています。仕入れ先は主に定置網という漁法でやっているので、来る魚はいつも様々な種類とサイズ。数センチの小さいものからマグロまであります。お客さんの注文にあわせて料理を提供しています。
 余談ですが、定置網でとれる魚の種類が近年変わってきています。もっと南方・沖縄などでとれるような魚が入ってきています。近年の気候変動の温暖化による影響だろうと感じています。

緊急事態宣言

 今年4月、「まん延防止等重点措置」が出て、営業が20時までと短縮され、緊急事態宣言が出ると、一切の酒類提供ができなくなりました。
 特に夜のお客さんは魚料理とお酒を一緒にと考える方が多いので、宣言が出されると予約のキャンセルが相次ぎ、来店される方も減りますね。ビールは開栓してしまうと賞味期限もあり長く保存できません。前回は宣言の発出が急だったので15リットルほど廃棄せざるを得ませんでした。

様々な感染対策

 愛知県は「安心安全施設」認証というのを設けていて約20項目のチエック項目があります。これに今後あいスタ認証という約50項目をクリアしないと協力金がもらえないとか、見回りにくるという話もあり、様々な感染対策をしました。アルコール消毒・検温器の設置、席ごとのパーテーション設置、酸素濃度をはかる機械の設置、換気経路の確保などです。スピードを持ってクリアしていくには基本的にはお店が独自で費用を出さなければいけません。

本来は補償をしっかりと

 当初、県の協力金は一律4万円でした。この額だと小さいお店だと黒字です。しかし、今は、売り上げに応じて金額が決まるので、小さいお店だと3万円前後。これだと赤字になってしまい営業せざるを得ないというお店も出てきてしまっています。お店を休んで家にいるというのは辛いです。でも、本来は補償をしっかりもらって期間中はしっかり休むという事が必要だと思います。従業員をコロナ感染させてしまうという問題もあります。
 その意味でも、しっかりとした対策が必要です。

補償金は税金の対象

 雇用調整助成金なども利用しています。最初は手続きが煩雑で本当に大変でした。今は、助成金と協力金があってとりあえずはコロナ禍が収まるのを待つだけの経営状況です。
 持続化給付金も1回のみで、2回目はなくなってしまいました。
 しかし、この給付金や協力金にも税金はかかってきます。5~6月は納税の時期ですが、本来の売上ではないこれらの補助金分も納税の対象となり、かなり厳しい状況で、私の生活費が圧迫されるという状況です。
 コロナ禍でも、本当に必要なのかと思うような公共事業、軍事費用などが相変わらずありまよね。
 こういうものを本当に減らせば、コロナ対策の補償もでき、消費税なども上げずにやれるのではないでしょうか?

「食」を豊かに

 「食」って生きる上で最高の楽しみの一つですよね。しかし、一日一食もままならない子どもたちがこの日本にもまだいることにショックを受けました。そういう子どもたちがいない社会になってほしいです。市場でもちょっとでも悪い野菜など大量に廃棄しています。フードロスという言葉もよく耳にして食べ物を大切にしようといていますが、まだまだですね。食が豊かであれば、人生も豊かになります。
 フードバンクや子ども食堂のような活動にも興味あります。食材のロスを少なくして、子どもたちにも食事を提供できるようなことに私も取り組んでいきたいと思っています。

日本の食文化の継承

 今は格差が広がりすぎていると感じます。大企業ばかりが儲かって、中小企業や個人営業のお店がつぶれてしまう。これでは、日本の技術力が継承されません。
 製造業でもそうですが、料理人の世界でも担い手不足の問題は深刻です。日本料理の技術を学ぶ若者が減っているのです。料亭などがどんどんつぶれています。このままでは世界的にも有名な「日本食」の文化が廃れてしまいます。

人間本来の「幸福」とは

 フードロスにしても、定置網でとれる魚の変化にしても、私たちの生活はこのままでいいのか?「もったいない」の精神はどこへ?このまま「発展」した先にある人間の「幸福」とはなんなのか?と考えます。
 コンクリートに埋め尽くされ、モノとお金を大量に消費し、一方で大量に廃棄しています。最近の天候もおかしいですよね。地球環境の破壊も本当に深刻です。もっと自然を感じたり、一人一人が幸せを感じるような自然界の一部としての人間という身の丈にあった生活になっていく必要があるのではないでしょうか。

このページをシェア