【16.08.10】“危機”と“希望”―参院選の感想―北川善英(横浜国立大学名誉教授)

 
 2016年参院選では、野党共闘側は、一方で、福祉・教育・雇傭や原発・沖縄など安倍政権による国民生活=個人の破壊を訴え、他方で、平和主義・立憲主義・民主主義と憲法改悪に対する危機を訴えた。これに対して、政権与党側は、前者に対しては数字のごまかしと空手形の政策の乱発で、後者に対しては沈黙(争点隠し)で応じた。単純化すれば、野党共闘側の「危機」と政権与党側の「何となく期待」=「希望」の対抗である。野党共闘側が「希望」とした野党共闘による政策転換は、政権与党側の「新しい判断」(消費税引上げ再延期)と空手形政策の乱発に対してはインパクトが弱かった。

 また、野党共闘側の個人=国民生活と憲法という2つの危機感が、本来はウラ・オモテの関係にあるのに、別々の事柄として並列して訴えられたため、有権者にちぐはぐな感じを与えたのではないだろうか。さらに言えば、野党共闘側は、個人=国民生活という「危機
」の展望として、「憲法を暮らしに生かす」、「憲法を取り戻す」(樋口陽一)といった「希望」を提示すべきではなかったのかと思う。参考になるのは、革新自治体が相次いで誕生した1970年前後である。高度経済成長による公害・教育・福祉などの個人=国民生活の破壊という「危機」に対して、当時の市民や若者にとっての「希望」は、憲法原理である地方自治を「取り戻すこと」であり、それによって危機を克服することだった。

 今後の政治と衆院選は、野党共闘・市民連合が日本国憲法の価値と諸原理を「取り戻す」=「希望」として掲げられるのか、それとも安倍政権側が「変革の対象」=壊憲の「希望」とするのか、が焦点となると思う。

*北川善英さんは2016年3月号で「立憲主義を取り戻す!民主主義の実現へ」と語っていただきました。

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