【16.03.10】見崎徳弘―革新・愛知の会代表世話人

 赤旗で祖父江儀男さんの訃報を見た。前年『今年こそパーキンソン病克服し戦争への道を平和への道へ』とあった賀状が今年はなく心配していた矢先だった。
 彼は7~80年代、旧愛知四区でずっと衆院候補だった。ラグビーで鍛えた頑健な体で尾張野を駆け巡り当選叶わなかった翌朝も駅頭で熱く訴える姿が評判になった。皆に愛され尊敬される共産党の顔だった。
 僕が近しくなったのは90年、彼が成瀬昇さんと共に革新懇の中心に座った時からだが、知事選や市長選の事務所で机を並べた時どんな仕事も厭わず引き受け、常に皆の先頭に立ちながら偉ぶらぬ人柄に感服した。子育ても近所づきあいもみな妻に支えてもらってという含羞の笑顔も好きだった。
 その彼がもういない。限りなく寂しいが夭折された愛娘・純さんと天国で会えたろうか“春の月娘偲ぶやいぬふぐり”は昨春の彼の句である 

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