若かりし、60年代に商社の労働運動に多少首を突っ込んで以来、基幹産業でもないところで、定年までともかくも、革新的な運動をやってきました。労働運動では商社全体としては、労使協調の風土で、中には、大手の総合商社(三井・ニチメン等)でも春闘ストを敢行するところもありました。
60年代後半から、色んな運動で、週5日制、大幅賃上げや解雇闘争で、産別の全商社は相当の成果を上げるとこまで来ました。しかし、一部の大手の干渉で、その全商社を脱退する動きの下で、80年代までに全商社は基本的には中小の商社を除いて、解体しました。
曲がりにも賃金水準やその他の労働条件は横並びでしたが、それからは企業間格差が生じてきました。
私の限られた視野と経験の中でも、こうした、資本と労働運動の軋轢があり、まして日本全体の労働運動の右傾化、総評の解体あり、統一労組懇のうごきあり、連合、全労連の流れがあります。しかし今日、EUのような、産別の大きな組合とはまだ組織的な大きな開きと制約があります。
しかも、活動家に対する弾圧や賃金・組合間差別が根強くのこり、大同団結の素地が作られていません。国民的にも労組への期待感、連帯感、協力関係が弱いように思います。あいも変らずの企業内組合であり、労組が地域住民や市民との連帯をするような動きになっていません。「多数派」とは政党間のような連合だけのものだけでなく、底辺からの各種の要求に基づく民主団体の結集が幅広く結集されてこそ更に発展されてゆくことでしょう。
「革新・愛知の会」の役割は“サロン”風の形態から、国民の要求を汲み上げ解決して行く全国の運動の中にこそあるものと思います。