瀬木 俊一【革新・愛知の会世話人、空港を考える市民の会代表)
私は、1932年に韓国で生まれ、45年の末に日本に帰ってきました。こうした経験もあって、韓国の歴史には、大変興味を持っています。「韓国併合」から100年、戦争の後始末がまだされていないことに深い憤りを感じています。
日帝警察官沢村さんが独自に研究された「文禄・慶長の役」の関わる文章を、韓国の友人に送りましたところ、新聞・テレビに報道され、ミュージカルにもなったと聞き、びっくりしましたが、「慶長の役」の秘話は韓国でも知らない人がほとんど。
鳴梁海戦という戦いがあり、(韓国では三大海戦のひとつに数えられているようですが)本土側の右水営と珍島の間の狭い急流な海峡での戦いですが、李舜臣将軍に日本側が敗れたという話です。
日本水軍の将「菅正陰」が、於欄珍に駐屯したおり妓女の「お欄」と恋仲になり、寝物語に日本軍の出港の日時を洩らしたため、先兵の艦隊が破滅的打撃をうけたというものです。お欄は李舜臣のスパイでもありましたが、良心の呵責に耐えかねて於欄珍で、翌日岩頭から海に身を投げたという物語です。珍島に倭徳山という小丘があり、現在は30基程の墓が残っていて、愛媛県の来島水軍の末裔の方が毎年訪韓し、先祖の墓参りと地元との交流を続けておられます。 その他、大興寺の近くに約5百人程の日本軍の捕虜収容所跡があったこと、花源半島に逃げ込んだ日本水軍が逃れ、逃げ場を失い水壕を掘った跡があるとも、云われています。