知多半島南部工業地帯で地道に
1985年プラザ合意後の円高誘導政策により、IHIの7000人の首切り合理化、1987年新日鉄の高炉休止をはじめ19000人の人減らし「合理化」が実施され労働者に大きな犠牲を強いてきた。
当時、新日鉄全体で64000人の労働者が16000人弱にまで削減されてきました。
名古屋製鉄所は7381人が2009年3月では2922人まで削減されました。
一方、名古屋製鉄所の粗鋼生産量は、1987年440万トンだったのが600万トンで140万トン増大しています。
増大した背景には2003年から中国の景気、アメリカのサブプライムローン景気で、鉄鋼産業がもがいてきた不況を一気に取り戻す景気情勢がありました。そして使いきれないほど内部留保が蓄えられています。
その陰で、労働者の健康診断で健康者といわれる人がたったの6%台に。また、急激な生産量増大で労働災害、設備トラブルの激増している実態があります。
背景には、人減らし「合理化」で技術を培ってきたベテランが、出向、転籍。新入社員を系統的に採用がされていない結果、景気回復でフル操業が余儀なくされてきたつけが健康破壊や労働災害、設備トラブルを招く大きな要因が発生していると考えます。
こういう中で、1987年にIHI首切り「合理化」反対での知多半島集会を契機に「知多半島での雇用、暮らし、営業守る会」を結成して現在にいたっています。
3年前、IHIでの爆発事故での遺族への補償、災害防止対策への取組、この3年間、学習会の取組を行ってきました。
知多半島南部は、鉄鋼の名古屋製鉄所、大同特殊鋼、愛知製鋼、IHIと大きな企業で働く城下町です。そこでの大きなうねりを作り出していきたいと思い活動しています。