【11.11.14】一年の入院生活を経て岩田義道の墓前に誓う-祖父江 儀男さん(革新・愛知の会世話人、愛知県治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟副会長)

私のおすすめ 祖父江 儀男さん(革新・愛知の会世話人、愛知県治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟副会長)

 
 “二度と戦争をくり返さない”は憲法の基本理念です。ここに至るまで国民は苦難と悲痛な時代を経なければなりませんでした。
 小林多喜二は治安維持法で逮捕され、3日後には命を奪われ、岩田義道は4日後に無残な遺体で遺体で返されました。 
 岩田は旧一宮町出身で、師範学校を卒業し教師になり、子どもたちに愛されました。彼は、教師では貧困な農民のくらしを守ることができないと悩み、木曽川町の山田盛太郎《後に東大教授》に相談しました。「社会主義を学びなさい」との助言を受けて京都大学に進み、河上肇、山田盛太郎、鈴木安蔵氏らと社会主義を学びました。岩田は唯物弁証法の研究論文を発表しました。鈴木安蔵氏は「内に秘めた情熱、力は激しかった」と語っています。
 中国への侵略戦争が開始された時、党中央の宣伝責任者として、ガリ版の「赤旗」を活版印刷に発展させ、700部から7000部の発行に発展させ、断固として侵略戦争反対を全国民に呼びかけました。しかし、スパイの手引きで逮捕され、激しい拷問により無残な遺体で返されました。 治安維持法によって拷問された人は30名、その他逮捕された人は1600人をこえました。終戦の11月29日に治安維持法で有罪とされた者は「将来ニ向イテ其ノ刑ノ言イ渡シヲ受ケザリシモノト見ナス」とされました。 
 世界ではドイツをはじめ多くの国が謝罪し、国家賠償が実施されています。しかし、日本では署名を持って要求していますが、実施されていません。
 日弁連は、第36回人権大会で「治安維持法犠牲者に戦争被害者よりも先んじて国家補償を」と決議しています。
 この実現なしには憲法は活かされません。私は一年の入院生活を得てこの運動の先頭にたつことを決意し、岩田義道の墓前にも誓いました

このページをシェア