1954年、アメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験が、原水爆廃絶運動と関わる出発点に
春日井革新懇は、10月3日に「核兵器廃絶をめざし、今国民的運動を」とテーマで講師に澤田昭二名古屋大学名誉教授を迎えておこないました。
物理学者で被爆者として半世紀以上、原水爆禁止運動に深くかかわってこられた澤田さんの講義は広く深いものでした。
印象に残った事柄の一部を紹介します。
澤田さんは、広島大学に進学し、物理学者を志されました。大学3年生の1954年、アメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験が、原水爆廃絶運動と関わる出発点となったこと。水爆は、ヒロシマ原爆の千倍もの威力があり、静岡の漁船「第五福竜丸」の乗り組み員が水爆し、犠牲者が出ました。「自分が学ぶ物理学が人類を滅ぼしてしまう」危機感が募り県内の大学に呼び掛け被爆者の実態や放射能についてパネルをつくり同年年八月六日、平和公園で展示。
その後1966年に名古屋大学の素粒子論研究室に助教授として赴任。
米原潜の寄港反対等平和運動にかかわっていた当時の研究室には、昨年ノーベル賞を呪詛油された益川敏英さんが大学院生として学んでいました。
科学は人類の平和と福祉のためにあるべきだ
澤田さんは、核兵器廃絶を訴える科学者でつくる「パグウオッッシュ会議が1995年にヒロシマで啓かれた際に、世界の科学者を原爆資料館に招きました。
「科学者ですら被害の実態は想像を超えていた。体験こそリアルに伝わる。物理学は核兵器をつくり出してしまったが、科学は人類の平和と福祉のためにあるべきだ」と。
国際署名「核兵器のない世界を」をどんどん広げましょう
澤田さんは、今年4月、アメリカオバマ大統領が「核兵器のない世界に」とのべたプラハ演説には感慨を覚えました。国家の核戦略に阻まれてきた科学者屋被爆者の声が、半世紀以上を経てやっと届くかもしれない。
そのためにも2010年5月の核不拡散条約再検討会議で核保有国をはじめ、すべての政府が核兵器全面禁止・廃絶条約の締結への一歩を踏み出すよう強く求めましょう。
国際署名「核兵器のない世界を」をどんどん広げましょうと訴えられました。