【23.11.10】紙野健二さん(行政法)ーー不当判決には屈しない!沖縄に連帯し、運動を広げよう!

司法は真剣な審議と公正な判断を

紙野 健二 さん

かみの・けんじ さん 
名古屋大学名誉教授・行政法
1951年生まれ。奈良県在住。
辺野古訴訟において、沖縄県を支援する全国13人の行政法研究者からなる「辺野古訴訟支援研究会」の代表を務めている。

記者会見

 辺野古新基地建設をめぐり、玉城デニー沖縄県知事が、国土交通大臣の設計変更承認の指示は違法として提訴していた取消訴訟で最高裁は9月4日、国交大臣の指示を適法とする判決を下しました。これを受け、私たちは後述の声明を公表するとともに県知事にこれを伝え、沖縄と東京で記者会見をしました。27日の時点ではデニー知事がこの判決と指示に対し、どういう態度をとるのか、という非常に緊迫した状況でした。「最高裁は沖縄県に対して承認を義務付けた」「もし、従わなければ損害賠償請求される」などという圧力がマスコミや沖縄県議会の野党、さらには一部の県の職員からさえも言われていましたので、知事周辺では「承認やむなし」という流れもあったように感じました。しかし、沖縄県はこれまでの立場をつらぬいて承認を拒否することには十分な法的根拠があるのです。
 前述の声明というのは、私もふくめた行政法、地方自治法の研究者で「判決と国の代執行手続き着手を憂慮する」というもので現在までに100名を超える賛同を得ているものです。

不当な最高裁判決 
 
 9月4日の最高裁判決は非常に不当で今さらながら、裁判所の行政法と地方自治の知識の欠如と無知が露呈しました。最高裁は、沖縄防衛局が私人になりすました行政不服審査請求に対する昨年4月の裁決と指示につき、これを正当化する判決をくだしています。今年3月の高裁判決は両者を切り離してそれぞれ適法としたのですが、最高裁はまともな審理なしに「裁決が出ているのだから、指示は適法」というのです。裁決自体がそのやり方も含め、粗雑な論理で組み立てられたひどいものですが、今回の判決は国の主張をうのみにするだけでもはや病膏肓といわざるをえません。
 また、この判決について誤解が流布しています。

最高裁は大臣の指示を適法としただけで、したがって、「承認を義務付ける」とは言っていません。県を強制する法制度上の仕組みは、今、争われている代執行訴訟を通じていわば発動するのです。「最高裁判決に従わないのは法治主義の否定」などというのは、法治主義が何かどころか、この判決のいうことさえ理解していない、と言わざるを得ません。

代執行訴訟
   
 その後、デニー知事はあらためて事実上「不承認」の態度表明をし、国が起こした代執行訴訟に応訴するということを発表しました。
 県は国の指示を受けても、国はそれだけでは強制することはできません。なぜなら県と国とは対等で独立した団体だからです。しかし、例外的に地方自治法245条の8の第1項に該当する場合に、国に代執行手続をとることを認めている。あくまで例外なのです。その要件の一つに「著しく公益を害することが明らか」という要件があります。
 解釈上、この公益は当然沖縄県にとっての公益も含んでいます。裁判所が判断するにあたり、国のいう米軍基地の公益性とともに沖縄県の主張する地域的な公益性が厳然とある。しかも、対等で独立した法主体・沖縄県が条例に基づいて実地した住民投票を経て主張する公益性で、これを劣位に置くことはできないはずです。条例は国でいう法律です。この条文は災害防止や感染症対応のようなものを想定しており、県の地域的利益に優越する国益なるものは視野にありません。さらにここでは「明らかである」という要件が加わっていることも軽視できません。公益の内容が国と県で違うのは当然としても、裁判所は判定者として公正な判断が求められるのです。

司法はまともな審議を

 見落としてはならないのは、裁判所はこれまでまともに県のした承認取消、承認撤回そして変更の不承認についてその適否を真摯に審査し、その結果としてこれらを違法と断じたことがほぼないという事実です。皆さん、意外と思うでしょ。承認取消のときは翁長さんの取消をスルーして仲井眞さんの承認を審査して適法とし(問題のすりかえ)、撤回は関与訴訟で関与にあたらない(門前払い)、さらに不承認について、高裁は県が裁決を争えず、指示については県の不承認を一方的に裁量の濫用と断じてその適法を導きました。これ、ほぼ国の主張のコピーでまともな審査の形跡がありません。そして最高裁は、裁決は関与にあたらず、指示は適法な裁決にもとづくから適法というわけです。これを巧妙というか論理の貧しさに仰天するかは皆さんにお任せしますが、裁判所が沖縄県の処分についての適切な審査を回避してきた事実は覆い隠しようがありません。

司法の判断に監視の目を

 実は私は10年余り法曹養成に携わってきましたが、司法が法技術的にもここまで堕ちてしまっていることに呆れるとともに、大きな危機感を持っています。したがって、これに対する国民的な厳しい監視の目が必要だと思います。私はフェイスブックでも発信していますが、SNSなども大いに活用して、一人一人が声をあげることが必要だと強く感じています。

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