核のない世界の実現へ!
金本 弘 さん
かなもと・ひろし さん
1944年生まれ
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表理事
愛知県原水爆被災者の会理事長 広島被爆者
受賞を知って涙が
ノーベル平和賞受賞を知ったのは10月11日、東京の新幹線のプラットホームで新幹線に乗る15分くらいまえでした。最初は信じられませんでしたが、受賞を知って、涙が出ました。
新幹線に乗り込んで隣の座席の男性に「私は被爆者で、日本被団協が今、ノーベル平和賞をもらったというニュースが流れているが、ほんとうでしょうか。」と聞きました。その男性は、「被団協」をしらなかったのですが、「45年間生きてきて、今日は私の記念する日です。ノーベル平和賞を取った被爆者の人が隣にいる。どうぞ、頑張ってください」と言って下車されていきました。本当に感動しました。
愛友会の被爆者が県内・全自治体を訪問し、懇談する「被爆者行脚」を1967年から毎年取り組んで今年で57年目となりました。被爆者行脚に毎年取り組んでいるのは、全国でも愛知県が唯一です。今年の被爆者行脚は、55自治体すべてを回りました。昨日は瀬戸市に行きました。瀬戸市長さんと会いましたが、どこへ行ってもノーベル平和賞が話題になります。だんだん私の中でノーベル平和賞の受賞という出来事が大きくなって、お亡くなりになった被爆者の先輩の堀三郎さんや恩田明彦さんが生きていたら、どんなに喜ぶだろう。今、正直、私だけで引き受けられない重さを感じています。
受賞の意義
「世界の為政者、指導者は被爆者の声を聞け、もう一度聞け」ということではないでしょうか。世界の若い人たちが核兵器廃絶にむけて動いています。こうした未来に生きる人のためにも今、被団協がノーベル平和賞受賞の大きな意義があるのだと思っています。
ノーベル委員会は「過去、現在、未来について日本被団協への受賞を送ると述べています。広島、長崎以来80年にわたり戦争による核兵器を使わせてこなかった。それは被爆者が被爆体験を語りながら運動してきた功績だとして、その功績に平和賞を与えると。しかし、それだけではないというのが特徴で、過去の実績に送るだけでなく、現在および未来についても述べています。
現在、核兵器が使われる危険性がかつてないほどであり、それに大きな警鐘を鳴らさければならない。それは被爆者にノーベル平和賞を送ることが最も大きな警鐘鳴らすことになるということです。
大事なのは未来です。被爆の証言をはじめとした被爆者のいろんな運動を次世代にちゃんと引き継いでいって、それによって「核のタブー」を維持していかなければなりません。
一層頑張ることを誓いたい
そのために被爆者の役割が大きいと思います。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、過去、現在、未来にわたってノーベル平和賞の意義を受け止めて、「ノーベル平和賞受賞にあたってという声明文」を出しました。
声明文の最後に「 2024年ノーベル平和賞の受賞者に選ばれたことに感謝しつつ、受賞を重く受け止めて、若い世代への継承を願いつつ、一層頑張ることを誓いたいと思います。」
被爆体験を伝えることが一番大事だと確信しています。3000度で焼かれた、被爆した人たちのことを想像してほしいし、核兵器がどれほど恐ろしく人類と共存できない兵器であるかを伝えたいと思います。
証言活動を続けるのは
私は、生後9ヶ月の時に広島の爆心地から2、5キロの駅で15歳だった姉とともに被爆しました。呼吸が止まって意識を失いましたが、居合わせた父親が私の頭を防火用水に入れ、口からガラスなどを取り出し意識を取り戻しました。
どうやって核の経験も戦争の経験もない若い世代に私たちが伝えていくことができるだろうか。
何が一番戦争を止めさせる手段なんだろうと考えてきました。私自身は、やっぱり、証言活動を生きている間続けていくことだと思いました。
2022年2月24日、ロシアがウクライナを攻めた日ですが、結局、証言活動をやっていても、起こるものは起こるんだと考えてしまったんですね。
しかし、一向に戦争は止まりません。私が今、証言活動を続けるというのは、これから若い人たちに戦争や平和を考えてもらいたいということもあります。
同時に、沢山の若い人の前で話していたときに、ふっと思ったんです。
私は生き残った被爆者として生きてきました。生きてこれたのは、戦争がなかったからです。この若者たちに、私が生きてきた最低80年間、幸せに過ごしてほしいという思いがふつふつと湧いてきました。そうだ、それだったら証言活動を続けられると思いました。最近は口に出して言おう、と決めました。「私が生きた80年間のように、あなたたちも戦争のない時代を生きて欲しい。どんなことがあっても生きていればきっといいこともある。だから生きて欲しい」と話しています。
広く募金を
ノーベル平和賞受賞式に出席する代表団は日本被団協の役員ら30人です。国連の中満泉事務次長(軍縮担当上級代表)やブラジル、韓国在住の被爆者とは現地で合流します。
中満さんは、ずっと被爆者を支え、国連で活動されてきているので、日本被団協の方から申し上げてこれを受けていただいて一緒に行っていただくことになりました。
予定は12月8日に羽田から出国して12月13日に羽田に帰国という日程で、現地では10日が授賞式です。オスロの市庁舎、オスロ市の庁舎で授賞式を行い、受賞者の講演会が行われます。現地ではインタビューを受けたり、いろいろ大学や高校で証言をするなどの活動が予定をされております。被団協としては、2025年被爆80年に向け世論を広げるために、取り組みます。
2025年は被爆80年
2025年は被爆80年です。
愛知県内のすべての自治体で「非核平和都市宣言」をあげるとともに、「日本政府に核兵器禁止条約への参加・批准をもとめる意見書」採択が進むよう取り組みたいです。2025年9月27日に名古屋市公会堂で「戦後・被爆80年 あいち平和のつどい」を開催します。愛知県内の反核・平和を求める人の声を「あいち平和のつどい」に結集し、核兵器の非人道性を内外に発信し、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める集会として取り組みたいと思います。
オスロから 大村義則さん「X」の投稿より
12月9日、午前9時〜ノルウェーの国会議事堂・政府機関の庁舎前でノルウェーのICANがコーディネートしてくれた集会
金本さんを中心にみんなで「原爆を許すまじ」を歌いました。