久保田 貢さん
愛知県立大学教授
久保田貢さんは、2020年3月号で『学習の力で改憲に立ち向かう―「戦争の記憶」を風化させない』と語っていただきました。
いたるところで「安全・安心」の語が使われている。保守・革新を問わず、である。
もともとこの語は90年代末、社会不安の悪化を恐れた警察を中心とする支配層が、「安全・安心まちづくり」などの条例を各地で制定させる運動のなかで広めたものである。国民の安全を保障するのは、本来、国家の責務のはずだ。それを「安全は自分たちで守ろう」と安全の自己責任化を狙って流布させたのである。
結果、災害に強いコンパクトシティ建設から防災グッズ、セキュリティサービス等々、防犯・防災を中心に巨大「市場」が生まれた。購入できない層は当然あるから、ここに安全格差社会が出現する。国の責務を曖昧にして生じる事態は未だ復興が進まぬ能登の惨状からわかる。
防犯については、市民が警察権力を内在化させていくことにもなり、監視社会をも生みだした。2004年頃、ビラ配りなど微罪逮捕が続出したのはこれらの動向と無関係ではない。
国のやるべきことを切り崩し、市民の自己責任とされる。これは新自由主義の特質である。特に、削減することで「小さな政府」をつくり、国民の諸権利がないがしろにされる現象をロールバック新自由主義という。しかし、社会を維持しつつ、新自由主義をすすめるためには、市民の新たな動員をはからねばならない。「安全は自分たちで」、「ボランティアで助けあいを」。この動員をロールアウト新自由主義という。近著の『ロールアウト新自由主義下の主体形成―学習指導要領の「ことば」から』(新日本出版社・久保田貢著)を是非お読みいただきたい。この30年程の様相を解析している。