品川さんは経営者として名古屋でヒルトンホテルと朝日新聞社の建物をつくる。財界人としてかつて「政治とカネ」で政府が出直しをはかった時、木川田東京電力会長と共に政治資金の規制強化と小選挙区制導入を提言
旧制三高の時、品川さんは、退学させられる友人を救うため自分を戦争の第一線に出して欲しいと申し出る。中国戦線で、歩哨に立った最初の夜、捕虜の女性から「逃がして欲しい」と告げられた時、一瞬にして見過ごすことを決断。いま、84歳で年80回以上、全国で講演
私は、6月3日、5時にホテルに迎えに行き、夜11時過ぎにホテルに向かうタクシーを見送った。当日、品川さんは講演後、30分、ていねいに自著にサインを行う。聴き手との交流を楽しむ風。その後、打ち上げの席に出かけられ、かけつけた10数名の若者に「戦争になれば三権分立はなくなる」学問もすべて戦争に動員される、とエールを送られた
品川さんは安保闘争をはさんだ10年間、全損保労組の専従役員を担った。息子夫婦を事故で亡くされたり大ロマンで結ばれた連れ合いに先立たれた。これら全ての土壌の上に、あの確かな発言が生まれた。
(村上俊雄 革新・愛知の会事務室長)